「悪魔には問題があるが、神についても疑問はある」
レンヌ・ル・シャトーの宝
(1) ソニエールの発見
カトリック教会は1885年、レンヌ・ル・シャトー管区に33歳の、ハンサムで、教養あるソニエールを任命した。ベランジェ・ソニエールは6世紀西ゴート族の聖地の上に建つ、街の小さな教会を修繕し始めた。
村の教会は1059年にマグダラのマリアに献堂されたものであり、その改修中に彼は(推測ではあるが)秘密の羊皮紙を、祭壇に隠された西ゴートの柱の中の穴から発見した。
ベランジェ・ソニエール神父 |
1886年または1887年に、一枚の紙または4枚の羊皮紙が発見されたと言われている。その文書を読んだソニエールは側廊、身廊を掘り起こし、写しをとった。それから彼は外の墓地に注目し、1781年1月17日に死んだドープール・ド・ブランシュフォール侯妃マリーの墓石に刻まれた暗号を見つけた。その碑文を解読したあと、彼はカルカソンヌに旅立ち、そこを治める司教代理に会った。その旅の後、ソニエールに経済的に大きな転換が起こった。
ソニエールは「非常に多額のお金(20万フランと見積もられている。)」を手に入れ、地元の教会を建て直し、さらにマグダラ塔のような、多くの建物を建てた。(ソニエールは元々非常に貧しかったので、1885年には管区民からの寄付で食べていた。)
※マグダラと塔の関係、もっと重要なシオンの復権との関係は、彼女の生涯中に知られていたのだろうか。また、非常に興味深いのは、「マグダル=エデル」が、見張り塔や下位の人びとの守護者という意味をもつ「羊の群[を見張る]塔」を意味することであり、これは「善き羊飼い」の意味かもしれない。ソニエールは村の教会を19世紀後半に人気のあった様式で派手に飾り立てた。入り口のリンテルには「ここは恐ろしい場所」という奇妙な文字が飾られた。悪魔アスモデウスの像がドアの側を守っている。額絵は「十字架の留」が奇妙な矛盾と共に描かれる。ひとつはスコットランド風の格子柄の布に包まれた子供。もう一つはポンティウス・ピラトがヴェールに身を包んでいる。聖ジョセフとマリアはそれぞれ子供のキリストを抱きかかえ、それはキリストが双子であったという古い伝説を仄めかしているようだ。他の像は難解な異常な姿勢をした聖者。聖Rochは傷ついた腿を(Grail King Anfortasのように)見せ、聖アントニウスは閉じた本を持ち、聖Germaineはエプロンからバラの束を放ち、マグダラのマリアは花瓶を掲げる。
ーマグダラとヨハネのミステリー
ソニエールは街の改修や陶器、骨董品、その他高価な物品集め趣味に浪費をした。しかしソニエールがこの財産をどこで手に入れたかは謎のままである。彼は教会上層部にこの秘密を説明することを頑なに拒んだ。
- 50 Greatest Conspiracies of All Time
※司祭としての年収が九百フランにすぎないのにもかかわらず、ソニエールはベタニア荘に合計九万フラン、それとは別に、テラスと庭に一万九千フランという金額を投じている。(中略)年収の百二十年分にあたる金額なのである。ソニエールは一体どのくらいのお金を消費したのか?ソニエール直筆のノートが書かれており、それを読んでみる。
ーイエスの墓
1. | 土地の購入 | 1,550 |
2. | 教会の改修 | 16,200 |
カルヴァリー | 11,200 | |
3. | ベタニア荘 | 90,000 |
マグダラ塔 | 40,000 | |
テラス・庭 | 19,050 | |
4. | 内装 | 5,000 |
家具 | 10,000 | |
合計 | 193,000 |
ソニエールは1917年に死去し、彼の莫大な財産がどこから生まれたかという「秘密」は彼の使用人であったマリー・デナルノーに残され、彼女は死の床でそれを伝える約束をしていた。しかし不幸なことに彼女は卒中を起こし、麻痺のため1953年の死去以前にすでに話すことができなくなっていた。地方司祭のお金の出所についての推測が噂になった。その地方を支配したテンプル騎士団またはカタリ派の失われた財宝?西ゴート族の埋蔵金?彼のハプスブルグ家または他の政府への任務の支払い?彼は失われた錬金術の秘法を知っていた?彼はとてつもない秘密を掴み、教会を脅したのか?最後の可能性の証拠は、神父が聞いた彼が死の床で最後の告解を否定する衝撃的告白である。
- Steve Mizrach, "The Mysteries of Rennes-le-Chateau and the Prieure du Sion"
※もしソニエールがシオン修道会の代理人だとしたら、この告解の否定を説明できる。臨終に際し告解にソニエールは隣のエスペラーザ教区の旧友アベ・リビエール司祭を呼んだ。二人にどのような会話がされたのであろうか?我々は知る由もない。しかし死に逝く友人の隣で、リビエールは青ざめ、苦悩していた。彼の苦悩はその後も長く続いた。彼は引きこもり、口数も減り、沈黙した。彼は死ぬまで再び笑うことはなかった。どんな恐ろしい秘密が明かされたのか?
この地域で起こったいくつかの恐ろしい殺人事件が、さらにミステリーを追加しています。一つ目は老司祭Jean-Antoine-Maurice Gelisです。彼は生涯の終わりに偏執的な隠遁者となりました。彼の住む司祭館に唯一入ることを許されていたのは、食物を運ぶ彼の姪だけでした。彼の用心にも関わらず、諸聖人の祝日(11月1日)の前日、誰かが彼を襲い、火バサミで殴り、4回斧で打撃し、そして死体の手は胸の上で組まれを、地面にうやうやしく置かれていた。それが誰であったとしても、彼は部屋を荒らしたが、金品は奪わなかった。
研究者のチームが1956年、ソニエールの庭で3人の射殺体を見つけました。彼らは第二次大戦の犠牲者でしょうか?それとも他の何か?
マリー・デナルノーが卒中の麻痺の後、面倒をみていたNoel Corbuは、死に行く彼女の唇から漏らされるたわ言から何か知ったかもしれない。彼女は暴走した車との事故で1953年に亡くなりましたが、事故ではなく殺されたと疑う人もいます。ソニエールの「心臓発作」の日付は疑わしいのですが、1917年の1月17日(聖アントニウスの日)に起こった。そして棺が前もって注文されていたというヒントがあります。ソニエールが発見した文書を運んだ密使Fakhurel Islamは、1967年東ドイツのムラン(Melun)の線路のすぐ脇で死体で発見された。
- Steve Mizrach, "The Mysteries of Rennes-le-Chateau and the Prieure du Sion"
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『秘密文書』と呼ばれる2通の不思議な文書の写しと写真がパリ国立図書館に保管されている。(ただしこの小さな本は図書館に行っても決して見つからない。)この『秘密文書』には1244年と1644年からの系図、モザイク様文字、ブランシュフォール侯夫人の墓石に刻まれた文字の写しが書かれている。そして最も興味深いことは、この2通の文書がレンヌ・ル・シャトー教会の柱の中から発見された羊皮紙文書であるとの噂があることだ。
それらは[2通の文書]は明らかにマリー・ドープール[ブランシュフォール侯妃]の聴罪司祭であり、彼の前任者アントワーヌ・ビグー神父が1781年に書いたものである。(同じ暗号は彼女の墓石にも書かれている。)
ヘンリー・リンカーンと歴史家マイケル・ベイジェントそしてリチャード・リーの著書『The Holy Blood and the Holy Grail』(邦題『レンヌ・ル・シャトーの謎』)によると「これら新しい時代の文書は暗号が含まれ、それらは驚くほど複雑なもので、コンピュータでも解読が難しい。」
ソニエールは彼の発見をカルカソンヌ近くの司教に持ち込み、彼[司教]は司祭[ソニエール]をパリの文書を研究する聖職者学校へ急派した。その中で簡単な暗号は翻訳され、「TO DAGOBERT II KING AND TO SION BELONGS THIS TREASURE AND HE IS THERE DEAD(ダゴベルト二世王とシオンにこの財宝は属し、彼はそこで死んだ。)」と読まれた。(ここでの人物「彼はそこで死んだ」は特定されていない。)
- 50 Greatest Conspiracies of All Time
羊皮紙文書は表向きは聖書からラテン語句の抜粋である。しかしそれらは深い謎を含んでいる。
ヘンリー・リンカーンによって発見され、並べられ解読された初めの暗号は簡単であり、ある文字が他の文字より持ち上げられている。二番目の文書の暗号はそれより複雑で、解読されたメッセージは奇妙なものであった。
文書の暗号はチェス盤の上をあらゆる方向へ動くナイトの一回、一回の動きによってのみ解読できる。そこでは暗号を明らかにするのと同じく、ただ一つの解答を見つけるのは難しい。
BERGERE PAS DE TENTATION QUE POUSSIN
TENIERS GARDENT LA CLEF PAX DCLXXXI
PAR LA CROIX ET CE CHEVAL DE DIEU
J'ACHEVE CE DAEMON DE GARDIEN A MIDI
POMMES BLEUES
(日本語)
誘惑のない女牧童、プッサンと
テニエが鍵を持つ、平和681
十字架とこの神の馬のそばで、
私は正午にこの警護の悪魔に達する(あるいは破壊する)
青りんご
『The Tomb of God(邦題イエスの墓)』の著者であるリチャード・アンドルーズとポール・シェレンバーガーは多くの単語がレンヌ・ル・シャトー地域の目印になっていて、彼らはその目印の場所を特定することができたと述べた。例えばLA CROIXはアレ・レ・バン北部で交差する鉄道である。これらの場所を羊皮紙文書の通りに訪ねると、正方形を横切る形になる。
ソニエールは他にも手がかりを、その非常に奇妙に改修した教会の中や、その地方の建築物に残した。 第三番目の暗号は文章中ではなく、シャグバラ・ホールの「アルカディアの羊飼い」のレリーフ台の刻印「D.O.U.O.S.V.A.V.V.M」と奇妙なものであるが、まだ解読されていない。
ジャラール・ド・セードのL'Or de Rennes-le-chateauによると、羊皮紙文書2中の謎の一句「誘惑のない女牧童、プッサンとテニエが鍵を持つ」というのはニコラ・プッサン(1593-1665)と聖アントニウスの誘惑の作者ダヴィド・テニエ(1610-1694)である。
ソニエールは噂によると、パリに行き、彼の発見を確かめるため、滞在中にルーブル美術館でプッサンのアルカディアの牧童、テニエの聖アントニウスの誘惑、作者不詳のケレスティヌV世の肖像画の各複製を購入した。
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アルカディアの羊飼いと名付けられたプッサンの有名な絵があり、「Et in Arcadia Ego...(そして、アルカディアにて我)」と刻まれた墓を取り囲んでいる。その墓はレンヌ・ル・シャトーにあるものとそっくりである。ソニエールの教会には守護悪魔がおり、それはソロモン神殿を建てるのを助けた悪魔アスモデウスである。そしてある人は昼間光がガラスを通過して分光することを「blue apples」といった。
「Et in Arcadia Ego」という一句は翻訳すると「たとえ楽園においても、私(死)は存在する」と解釈される。
「アルカディア」という主題はエリザベス朝文学で顕著であり、例えばEdmund Spenser, フィリップ・シドニー卿、シェークスピアの作品にも書かれ、黄金時代と同義である。
アルカディアという単語は、ギリシアの守護神で、狩猟の神アルテミスの妹でカリストーの息子のアルカスからきている。伝説ではメロヴィング朝はトロイの血を引く者たちである。ホメロスによるとトロイはアルカディアの植民地として発見されたという。「プレウリ文書」にはアルカディア人は、偶像崇拝によりイスラエル人によって追い出されたベニヤミン族の血を引いている。「アルカディア」はRiver Alphaeusの資料「地下水脈」としても知られ、コールリッジの詩や秘密文書の中でよく描かれる。メロヴィング朝は「祭司王」が君臨すれども統治せず、非宗教的統治機能が宮宰とよばれる官僚に与えられた。その宮宰の一人ピピン肥満王がカロリング王朝を立てた。
王立美術学院のクリストファー・コーンフォート教授は絵を分析し、その中に5角形が隠されているのを発見した。アンドルーズとシェレンバーガー(『イエスの墓』の作者)は羊皮紙の中の記号と鍵となる文字の間に三角形を作ることができた。加えて二番目の羊皮紙にも75度傾いた正方形を作図し、その中には一番目の三角形も含まれている。これら二つの図形はパリゼロ子午線を使ってレンヌ・ル・シャトー地域の地図と重ねると、城、教会、街が並ぶ驚くべき配列となった。アンドルーズとシェレンバーガーはさらにいくつかの関連する絵画と同様に、3枚の絵画中の上に同じ幾何学的な形を識別することができた。もしソニエールが偶然見つけたものが地図であったとしたら、その重要性は何なのか。
テンプル騎士団の要塞ベヅ城址、ブランシュフォール城址そしてレンヌ・ル・シャトーはそれぞれ山地の頂上に位置する。他の高い二つの頂上とともに、周囲15マイルの正五角形に位置する。夜には各場所で点された火が容易に見えるでしょう。レンヌ・ル・シャトーのように、村は少なくとも13世紀前の西ゴート族の時代まで遡ります。教会はマグダラのマリアに献堂されています。
初期の天文学者たちは宇宙の中心に地球を置き、その周りを太陽や恒星、惑星が回転していると考えた。太陽の周りを回る各惑星は地球から見るとそれぞれ異なる動きをする。古代の天文学者たちは、太陽と並んだとき、各惑星の位置に基づいた幾何学的な線を引きました。
ただひとつの惑星だけが空に正確で規則的な幾何学模様を描きます。それは地球ではマグダラのマリアを表す惑星「金星」であり、8年ごとに五角形を描きます。
教会、カルヴァリオ、城、そして隠れた遺跡といった地図上に描かれたほとんどすべての建物がゼロ(パリ)子午線と交差する複雑な網の目の配列を形成する。その3分割される距離が円の半径距離です。各分割地点は正確に933.586ポールの1/3です。
現在のポールの定義(ロッドまたはパーチも同じ)は5.5ヤード、つまり1マイルの1/320であり、198インチです。1キロメートルは1千メートルで、地球の表面の四分円の1/1000であり、イングランド形式では39,370インチであり、39,370の平方根は198.41874である。
古代中国の単位で公尺があり、14.14インチである。また198.41874の平方根は1インチの1/20以内である。
トム教授によれば、巨石時代のヤードは古代シュメール人のシューシで、2.75フィートである。これは33インチであり、ポールのちょうど1/6に相当する。
したがって:
シューシ×6 = 1ポール
公尺 = 1ポールの平方根
1ポール = キロメートルの平方根である。この単位は18世紀後半までは確立されていなかった。
- Henry Lincoln, The Hory Place
この50年間に多くの人がこの小さな村に計画、鍬やツルハシ、ダイナマイトを持って押しかけた。司祭の館の地面には穴掘りの跡が今でも残されている。行政府は最終的に「発掘禁止」の大きな看板を立てた。財宝探しは禁止された。
ド・セードはレンヌ・ル・シャトーの歴史と財宝伝説について、「羊飼いの男の子が1645年に穴に落ちて迷子になった山羊を探していた。山羊を助けようと穴を降り、彼は洞穴の中で骸骨と黄金の山を見つけた。彼は帽子に貴金属のかけらを集め、村へ持ち帰ったが、彼は村人にどこでそれを見つけたのかを言わなかった。村人は彼はそれらを盗んだものと考え、彼を石で打ち殺した。」とコメントした。
ド・セードはまたこの地域の歴史、テンプル騎士団、ブランシュ・ド・カスティーユ、アルビジョワ十字軍について語った。
1. 中世よりレンヌの周りには埋蔵金伝説があった。
2. これはばかげた話ではない。なぜならこれら事実から可能性があるからだ。カルカッソンヌには西ゴートの財宝、中世に開発されたブランシュフォール金山の存在。ベヅの贋金、19世紀に発見されたかなりの量の鋳金。
3. しかしこれらの仮説を裏付ける確かな古文書などはない。
- Bill Putnum & John Edwin Wood, "The Treasure of Rennes-le-Chateau"
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5月11日、バッキンガムシャーのBletchley Parkからやってきたベテランの暗号家がシャグバラにあるリッチフィールド家の庭にある「羊飼いの記念碑」を訪れ、聖杯の場所が記されていると噂の文字を解読しようと試みた。この噂の元は、所有者のアンソン家がテンプル騎士団(彼らは1204年、コンスタンチノープルで聖杯を発見したと言われている。)と関係を持っていたことにある。この大理石の記念碑は1748年にトーマス・アンソンによって注文され、レリーフにはオランダ画家のニコラ・プッサンの『アルカディアの牧童』の中の文字が逆に刻まれている。この絵は3人の羊飼いが墓に集まり、そこに刻まれた「Et in Arcadia Eco(我はアルカディアにあり)」碑文中のAの文字を指さしている様子を、一人の女性が見つめている。その下にはO.U.O.S.V.A.VVと左下にD.右下にM.の10文字が刻まれている。
「この碑文は明らかに古典を参照している。」とBletchley Parkでドイツ軍のエニグマ暗号解読に関わっていた85歳のOliver Lawnは言う。何か歴史的な出来事に基づく、ラテン語またはギリシャ語である。絵は奇妙である。その鏡像はとても奇妙である。Bletchley Parkでの責任者であったChristine Largeは「文字には意味がない。またはどこか他にある別のメッセージの鍵になっている」と言った。
何年もの間、碑文の意味を巡って多くの説が出された。ジョサイア・ウェッジウッドとチャールズ・ダーウィンもまた碑文の解読を試みた。現在のリッチフィールド家の大叔母さんは子供の頃知っていた牧師からAliciaの牧童についての伝説を聞いたという。「Out of your own sweet vale, Alicia vanish vanity ‘twixt Deity and Man’(OOYOSAVVDM)」この伝説の真偽は確かめることもできず、単に文字に合うように作られたでっち上げ話であるとして却下されている。
DとMの文字は死者の魂に捧げるためにローマの墓に刻まれたラテン語のDiis manibusを表している。「これら文字のことは一族みんなが知っており、重要なものではない。」と管理人のRichard Kempは言った。しかしエベレストがそこに存在する限り人々は登るし、ここに暗号がある限り、皆がそれを解読したいと願う。5月18日の最新の記事では、牧童の記念碑に登った馬鹿が10の貴重な飾りを壊したとのことだ。彼らは庭の管理人に追い払われた。
- FT186(August 2004), p.22
レンヌ・ル・シャトーの近く、クストーサ村の上には「カピテール」または「グレート・キャンプ」がある。私たちは斜面でそのような驚くべき光景を見るとは思ってもいませんでした。見渡すかぎり、数百、数千もの蜂窩状の建築物が広がっていました。いくつかはよく修理され、恐らく何百年にも渡って何度も建て直されてきたものです。わずかながらがれきの山に埋もれたものもありました。しかしほとんどが、頑丈に建物が並んで建てられ、それぞれが戸口にひとつの小さな部屋と小さな窓を備えています。正方形、長方形、円形、卵形のものもありました。
それぞれは美しく巧みな空積みにより作られた屋根を持っていました。中に部屋を持たない構造はほとんどなく、それが「シェルター」と考えるには無理がある。私の写真を調べた歴史家はそれを新石器時代の峰窩状埋葬室を想像させるといった。それらの現在の状態からは、それらの多くが非常に良い状態であったので、作られた時代を特定することが非常に難しい。実際それらの構造は18世紀になっても作られていた。(または修理されていた。)
より高台に、私たちは控え壁の跡をもつ二重の壁が伸びているのを発見し、それは防御壁としてよりもむしろ古代ギリシャのミュケーナイによく似ている。この街が西ゴート族の伝説の都市レディス/エーレーダであり、レンヌ・ル・シャトーが唯一残る遺跡であると考えられる。確かにレンヌ・ル・シャトーとはさらに1マイル半離れているが、その他にエーレーダーの跡と思われるものは見つかってはいない。
- Henry Lincoln, The Holy Place
西ゴート族はキリストの神格を否定するアーリア人の異教を信じていました。その子孫がメロヴィング朝を建て、ダゴベルト二世の死までガリアを支配しました。
- Steve Mizrach, "The Mysteries of Rennes-le-Chateau and the Prieure du Sion"
パリの国立図書館には、有名なFredegarの年代記の複製(僧Luceriusによって作成された)があります。その七世紀にも及ぶ歴史作品は完成までに35年を費やした。
Fredegar原稿の特別版は有名なNebelungen宮廷に渡され、州権威によって詳細な、公式歴史と認められました。Fredegar(彼は660年に死んだ)はブルゴーニュ人の書記であり、また、彼の年代記はヘブライ人の族長の最初からメロヴィング王の時代までをカバーしています。それは聖ヒエロニムス(旧約聖書のラテン語の翻訳者)、セヴィーリャの大僧正イシドール(百科事典を著した)、トゥールのグレゴリウス(History of the Franksの作者)等の著述を含み、相互参照情報を引用した。
- Laurence Gardner, Bloodline of the Holy Grail, pp. 17
リンカーンとその共著者たちは「キリストに子孫がいて、彼らは南フランスへ降り立ち、フランスの王族と結婚し、神聖なメロヴィング王朝が成立した」という説を唱えました。
故に、テンプル騎士団やシオン修道院の真の任務は十字軍の宝を守るためだけではなく、中世「サング・ラール(Sangraal)」または「サング・レアル(Sang real)」と言われた「聖杯」を守るためであり、リンカーン等によれば、それはsang realつまり「王家の血」を意味すると訳された。言い換えれば文字通りキリスト王朝の遺産。
- Jonathan Vankin and John Whalen, "Descendants of Jesus? Or Scam Artistes Extraordinaire?"
「Sang real」は伝統的に「聖なる血」と解釈され、伝説によるとマグダラのマリアは南ゴール(レンヌ・ル・シャトーも含まれる)のユダヤ人王朝にたどり着いた。秘密の伝説を信じる人々は、マグダラのマリアはイエスの妻であり、彼女が運んだものは器ではなく、子宮の中のダビデ王という種子であったと考える。
- Steve Mizrach, "The Mysteries of Rennes-le-Chateau and the Prieure du Sion"
メロヴィング朝が栄えた頃は、超自然的な力を与えられたいわば神聖祭司王と考えられていました。
- Jonathan Vankin and John Whalen, "Descendants of Jesus? Or Scam Artistes Extraordinaire?"
歴史の暗黒時代として、真剣に研究されてきた時代ではないので、最近までこれら長髪王に関しては何も知られてはいませんでした。王家の創立者メロヴィクは2人の父親がいると言われている。彼の母親はすでにクロディオ王により妊娠させられていたが、海を泳いでいるときに「キノタウルス」に誘惑された。それが何であろうと、メロヴィクはフランク家の血と不思議な海神獣のと混合から生まれた。ナジル人(旧約聖書のサムソン)の様にメロヴィング王は髪を切らず、肩胛骨の上に赤十字のあざを持つと言われていた。彼らの衣服には房がつけられ、魔術的な治癒力を持つと言われていた。彼らはオカルトに精通していたといわれ、メロヴィング家の墓からは黄金の雄牛の頭、水晶球、金で作られた蜂の模型が見つかった。また奇妙ではあるが、これら王は頭蓋骨に切り込みを入れる儀式、つまり穿孔の跡が見つかる。
メロヴィング朝は「祭司王」として統治すれども支配はせず、世俗の統治機能は宮廷の総理である宮宰が持った。宮宰の一人、ピピン肥満王がそれに取って代わる王朝、カロリング王朝を築いた。
- Steve Mizrach, "The Mysteries of Rennes-le-Chateau and the Prieure du Sion"
メロヴィング朝は伝説によれば、イスラエルからギリシャのアルカディアへ逃れたベニヤミンまで先祖を遡ることができます。
歴史の中で起こった最も不可解な出来事のうちのひとつはセプティマニア公国のお話しです。ピピン三世は、ユダヤ民族に南フランスを与え、その初代の王テオドリックはメロヴィングの血統だけではなく、ダビデ王の血統をも主張しました。王及び教皇はこの系図を認めました。彼の息子ギョーム・ド・ジェローンは伝説的英雄であり、「ヴィレハルム」を含む少なくとも6つの中世叙事詩がヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハによって書かれた。彼は聖杯家と密接に関連します。彼の17代後の子孫はゴドフロワ・ド・ブイヨンであり、第一回十字軍のリーダであり、教皇によってエルサレム王に任命された。
- J.J. Collins, "Sangraal, The Mystery of the Holy Grail"
エジプトの偉大なる女神イシスはしばしば黒人女性として描写され、錬金術と密接にリンクしています。そしてヨーロッパの黒い聖母と密接に関連しています。
- Lynn Picknett & Clive Prince, Turin Shroud ? In Whose Image? The Shocking Truth Unvailed
イシスはアンク十字(エジプトの輪になった十字)を最高の伝授者として説明される奇妙な形のしゃくは黒い聖母によって運ばれ、彼女はイシスのようにしばしば緑色が好まれた。緑色や黒色は秘密作品のはじまりと指摘され、錬金術師によれば「イシスの性」が見つかるはずです。
- Ean Begg, The Cult of the Black Virgin
黒い聖母はイシスであり、彼女の名前はノートルダム・ドゥ・ルミエール。
- Pierre Plantard de St Clair
テンプル騎士団は投獄され、シオン城で死を待っている間、ベルナールが彼女の宗教の創設者であることを認め、彼女への祈りを行った。加えて彼が彼女に対し取り組んだ多くの賛美歌と説教、それら彼は雅歌、ソロモンとシバの女王の祝婚歌をテーマに約280の説教を書き、それら短句は「私は黒いが、美しい。ああ、エルサレムの娘たち」の黒い聖母信仰が繰り返される。
- Ean Begg, The Cult of the Black Virgin
私は黒いが美しい、エルサレムの娘たち。ケダルのテントの様に黒く、ソロモン宮殿のように美しい。
- Song of Songs 1:5-6
フランスにある黒い聖母として知られる数百の像のうちほとんどが偶然ろうそくの煙によってくすんだものです。その他は元々エボニー(のちにはピアー)のような黒い木で作られたものや、定期的にオイルやワインで処理されるうちに黒ずんだもの。コプトやエチオピアの像が十字軍の間フランスにもたらされ、それが黒い聖母の原型となったのかも知れません。
黒は大地の色であり、豊饒と生命の源、聖体と悲しみを表す。多くのイシスや、ディアーナやキュベレーといった女神像は黒である。初期のキリスト教から、祝婚歌は教会と聖母マリアの象徴でした。
黒い聖母教会はしばしばマグダラのマリアの名を生みました。1247年にボードワンII世はVezelay修道院とトリノの聖骸布とマグダラのマリアの聖体を交換しました。秘密の伝説では、マグダラのマリアはイエスの妻であり、南フランスでその子供を出産したと言われています。彼女は秘術の伝道者として崇拝されました。
- アホなアメリカ人の妄想より
すでに二人の聖マリアの伝説の中で語られているように、聖サラは彼女と共に船でやってきた。伝説によると彼女はエジプト人であり、従ってユダヤ人でもイエスの親類でもないが、彼女は裕福な階級出身であった。さらに古い証拠によると、彼女は海賊の妻であったが、キリスト教への改宗が原因で離婚した。
- サント・マリー・ド・ラ・メールの町が発行するガイドブックより
ピエール・プランタール・ド・サン=クレールが、その丘の町や謎の司祭に関する多くの文書の出所であった。パリの国立図書館へ導かれ、私たち歴史探検家3名(ベージェント、レイ、リンカーン)はピエール・プランタールがダゴベルト2世やメロビング朝につながる驚くべき系図を発見しました。
これらパリの国立図書館で発見したものはプリウリ・ド・シオン団(またはシオン修道会)と呼ばれる謎の古代秘密結社について触れているようでした。
リンカーンとその仲間たちはフランス政府に問い合わせ、現在も確かにプリウリ・ド・シオン団と名のる組織が存在することを見つけました。そしてその組織の総長がピエール・プランタールだったのです。
- Jonathan Vankin and John Whalen, "Descendants of Jesus? Or Scam Artistes Extraordinaire?"
ベージェント、レイ、リンカーンによれば、シオン修道会はエルサレムを奪還した第一回十字軍の指導者ゴドフロワ・ド・ブイヨンによって1090年代に設立されました。彼らはフロンド党やテンプル騎士団の設立にもこの修道会が背後にあったとしています。
- Lynn Picknett & Clive Prince, Turin Shroud - In Whose Image? The Shocking Truth Unveiled
シオン修道会の最も早いルーツはオルムスと名のる人物のある種のヘルメス、グノーシス組織です。この人物は異教とキリスト教をひとつにしたと言われています。シオンが姿を見せるのは中世になってからです。1070年にウルサス王子率いるイタリアのカラブリアからやってきた僧侶の集団がフランスのストネイ近くにオルヴァル修道院を設立しました。これらの僧侶たちがシオン教会の基礎を造り、1099年にゴドフロワ・ド・ブイヨンがそれを取り込んだと言われています。
- Jonathan Vankin and John Whalen, "Descendants of Jesus? Or Scam Artistes Extraordinaire?"
シオン修道会が公言する組織の目的はメロヴィング王朝とその家系をフランスの王位だけでなく、他のヨーロッパの王位にも復活させることである。
王長間の同盟および婚姻によって、この系図にはエルサレムを1099年に占領したゴドフロワ・ド・ブイヨンやさまざまな貴族、王家が過去・現在まで含まれています。
- Baigent, Leigh & Lincoln, The Holy Blood and the Holy Grail
ゴドフロワは伝説では聖杯家に属し、メロヴィング家の家系で、実際ダビデの子孫としてエルサレム王の権利があった。彼がこれに気づいていたのは間違いない。彼が第一回十字軍に出発するときに、彼は財産をすべて売り払った。彼はエルサレムに留まるつもりであった。ゴドフロワはユーグ・ド・パイヤンやシャンパーニュ伯と親しく、そして彼の弟ボードワンI世はテンプル騎士団の設立に不可欠でした。
- J.J. Collins, "Sangraal, The Mystery of the Holy Grail"
したがってゴドフロワ・ド・ブイヨンを「王の王」または「王の制作者」と呼んでいいかも知れません。彼はエルサレム王に戴冠するシオン教会を設立したのですから。
- Michael Bradley, Holy Grail Across the Atlantic
エルサレムの南方にはシオンの「高い丘」が立ちはだかっている。1099年にゴドフロワ・ド・ブイヨンの急の命により、古いビザンチンのバシリカ遺跡の上に僧院が建てられた。
1172年に年代記編者は、それは壁と塔、胸壁によって防御が固められている、と記した。そしてその建物はシオンのノートル・ダム寺院と呼ばれていた。
- Baigent, Leigh & Lincoln, The Holy Blood and the Holy Grail
プランタールは1979年、私たちに「プリウリ・ド・シオン団はエルサレム神殿の宝を所持している。それは紀元66年の反乱の際ローマ人が略奪したものであり、その後レンヌ・ル・シャトー近くの南フランスに運ばれた。」と断言した。プランタールによれば、「宝はしかるべき時が来ればイスラエルに返還する」とのことだ。
- Baigent, Leigh & Lincoln, The Messianic Legacy
リンカーン等によると、ある時期その宝はメロヴィング朝からシオン修道院に譲渡された。そして後に神殿のスパイが聖地から財宝をだまし取り、フランスのカタリ派へ移され、その後ローマ教会による破壊の直前に、ピレネーの山中に埋蔵された。
しかしもし「宝」が黄金といった物質的な宝ではなかった場合は?結局、伝説ではカタリ派が重要な聖遺物を所有していたとされています。そして多くの伝説によれば、それは聖杯そのものだったとされています。
- Jonathan Vankin and John Whalen, "Descendants of Jesus? Or Scam Artistes Extraordinaire?"
1116年7月19日にはすでにシオン修道会の名前はすでに特許状に表れています。私たちは1152年の別の特許状を見つけました。それはフランスのLouis 7世の印章が押され、ヨーロッパのオルレアンで初めての主教座が授けられたものです。私たちはさらに後、1178年の特許状を見つけ、それは教皇アレクサンドラ3世が聖地だけではなく、フランス、スペインそしてイタリア半島のシシリー、ナポリ、カラブリア、ロンバルディアの正当な所有を修道会に認めたものでした。
- Baigent, Leigh & Lincoln, The Messianic Legacy
約100年間の間、テンプル修道院(テンプル騎士団)とシオン修道会は一人の指導者の下で一体でしたが、1188年ジゾールで「楡の木を切る」ことにより分離したと言われています。
- Steve Mizrach, "The Mysteries of Rennes-le-Chateau and the Prieure du Sion"
13世紀の終わり近くなって、テンプル騎士団から個々に離別していった者たちはルシヨンのアラゴン地方から南フランス[古くからのカタリ派拠点]のレンヌ・ル・シャトー地方へ送られました。この新たな離別者たちはベズ山の頂上に見張り所と教会を建てました。
1307年10月13日、フランスにいたテンプル騎士団以外は、フィリップ端美王の家臣に干渉されなかった。その運命の日、偶然にもベヅにいたテンプル騎士団の指導者はド・ゴスでした。また教皇クレメンス5世の名を頂く前は、ボルドーの大僧正(フィリップ王の操り人形)はベルトラン・ド・ゴスでした。さらに新しい教皇の母親イーダ・ド・ブランシュフォールはベルトラン・ド・ブランシュフォール(テンプル教会第4第グランドマスター)と同じ家族であった。この教皇は彼の家族の後見人に明かされた秘密のいくつかを知っていたのか?
- Baigent, Leigh & Lincoln, The Holy Blood and the Holy Grail
リチャード・アンドルーズとポール・シュレンバーガーは著書『The Tomb of God』の中で、その秘密が何であったのか、論争の的となる結論を引き出しました。羊皮紙文書、絵画、そしてド・ネグルの墓石に描かれた碑銘(ソニエールが発見したと伝えられています。)の方位はある一点で交わります。カルドゥ山の岩肌が露出したところ、レンヌ・ル・シャトーから5キロの場所です。
秘密というのはキリストがどこに埋葬されているか、その墓そのものです。それは新たなヒントや解答が見つかるたびに、2重、3重に再点検し、すべての異なるヒントすべてが同じ場所を示しました。示された場所を調査したところ、中世初期トンネルが発掘された形跡が見つかりました。残念ながらトンネルの入り口らしきところには何トンもの巨石が阻んでいます。大型機械を用いた大規模な公式発掘だけがその答えを示すでしょう。
- Sander van der Linden (private correspondence)
それが陰謀、16世紀の宗教戦争、17世紀のフロンド党の乱または18世紀のフリーメーソンの陰謀であろうと、続く同じ家系は巻き込まれ、ある同じパターンにしたがって行動した。
- Baigent, Leigh & Lincoln, The Messianic Legacy
(1) 階級
『秘密文書』にはテンプル騎士団の設立から現代まで続くシオン修道院のグランドマスターを意味する名前と日付が記載されている。
神秘数58、アルカディア、黒いマリア、マグダラのマリアのような主題は修道院の影響があったと考えられている土地、その組織につながる芸術家の作品、作家や詩人の作品中に多く見つかります。これらの繰り返し現れる主題は秘儀信仰の「地下水脈」を示すものでしょう。
- Lynn Picknett & Clive Prince, Turin Shroud - In Whose Image? The Shocking Truth Unveiled
定款によって異なるが、シオン団は9つの位階に9,841名の会員、または7つの位階に1093名の会員を持つ。その最高位の会員は「ノートニエ」またはグランドマスターと呼ばれ、1963年まではジャン・コクトーであった。近年まで最高位はピエール・プランタール・ド・サン=クレールであったと信じられているが、彼は1984年に後任にポストを渡したと言った。したがって誰が組織を現在運営しているかはわかりません。
- Steve Mizrach, "The Mysteries of Rennes-le-Chateau and the Prieure du Sion"
※1956年以後の定款によれば9,841名である。
※ここ10年ほどの間に、(シオン)修道会は内紛に見舞われたらしい。(中略)ピエール・プランタール・ド・サン=クレールは──この組織の歴史上初めて──辞任したと伝えられる。なお(シオン)修道会の公式の本部は現在スペインにあり、現総長はバルセロナの弁護士である。
『テンプル騎士団の影』の番組の中で、リンカーンはプランタールにインタビューをした。対話の記録は以下である。
リンカーン:ムッシュ・プランタール。レンヌ・ル・シャトーには今でも秘密があるのですか?
プランタール:秘密はレンヌ・ル・シャトーだけにあるのではなく、レンヌ・ル・シャトーの周辺にある。
リ:レンヌ・ル・シャトーの宝は今までに発見されたことはあるのですか?
プ:あなたが話しているのは、物質的な宝であり、我々が話しているのは物質的な宝ではない。もっと簡単に言えば、レンヌ・ル・シャトーには秘密があり、レンヌ・ル・シャトーの周辺にも他になにかあるかもしれないのだ。
リ:この話にプッサンはどう関わっているのか?
プ:プッサンの絵には秘密が隠匿されているようだ。プッサンは秘密を知らされ、それを知らすために絵画を制作した。しかしこの話に関わるのは彼一人ではなく、他にもいる。絵画的な表現の中に秘密は隠され、それにはシンボルが使われた。
リ:シオン修道会は今でも存在するのか教えて欲しい。
プ:この瞬間にも存在している。近年のメンバーでは、総長の一人は、みんなが知っているようにジャン・コクトーであった。
リ:ムッシュ・プランタール。何世紀にも渡りあなた方は、シオン修道会を支持してきた。これはどう理解すればよいのか?
プ:私たちはシオン修道会を支持し、シオン修道会は私たちを支持してきた。
リ:私たち?私たちとは誰のことか?
プ:私たちとは・・・私はメロビング家の血統について話している。私たちの血統はダゴベルトII世より続いている。メロビング朝はフランスを作った。
彼らなくてはフランスは存在しなかったであろう。カペー朝やカロリング朝はメロビング朝から続く。メロビング家はフランスを表す。
-Shadow of the Templars
シオン修道院の会員は2つの実働グループに分けられる。
(a) 軍団:使徒としての責任を負う。
(b) 方陣:伝承の守護者である。
位階は9つからなる。
(a) 729の県では「ノートニエ」または航海者の事務所はイシスの舟の象徴で飾られる。
1 新信者:6,561名
2 十字軍:2,187名(b) 27の直轄地では
3 勇士:729名
4 従士:243名
5 騎士:81名
6 隊長:27名(c) 主領地「キリヤ」
7 高官:9名
8 代官:3名
9 ノートニエ:1名
イシスは彼女の右手に小さな帆船を持ち、そのマストには回転する車輪の軸がある。マストの頂上には水差しが出っ張り、取っ手は毒蛇が膨らんだ形である。これはイシスが困難に満ちた命の帆船を時の嵐の海の中で操縦することを示している。車軸は彼女が命の糸を紡ぎ、切断する象徴である。
- Manly P. Hall, Masonic, Hermetic, Quabbalistic & Rosicrucian Symbolical Philosophy
イシスの船はかつてはアルゴ座の中にありました。特にエジプトではこの星座はイシスの星という意味でソウテスまたはソス・イシスと呼ばれた。さらに、エジプトの伝説ではこの乗り物は女性の生殖器を表した。
- David Wood, Genisis
古代イスラエル人の契約の聖櫃は、イシスの方舟の儀式が元になったと考えられています。
シオン修道会のグランドマスターメンバーを見れば、本質的に異なる2つの集団を交互に行き来していることが分かるでしょう。一方は秘儀、芸術、科学分野で西洋の伝統、歴史、文化に衝撃を与えた記念碑的人物。もう一方はある特定の家系(貴族や時には王族)でつながるメンバー。
- Baigent, Leigh and Lincoln, The Holy Blood and the Holy Grail
12世紀、最初のグランドマスター、ノルマンディーのジャン・ド・ジゾールは、名前をジーンII世と名乗り、こう問いかけました。「では、ジーンI世は誰であったか?」彼らは数人の候補として、「洗礼者ヨハネ、福音記者のヨハネ、黙示録著者のヨハネ」の名をあげ、この話題をうち切った。
- Lynn Picknett & Clive Prince, Turin Shroud - In Whose Image? The Shocking Truth Unveiled
この継続性(総長の任を継いだ者がジャンと名乗ること)は明らかにヨハネに由来する秘儀や、ヘルメス思想的な教皇権を意図したものであり、その対比として(おそらく対抗として)正教のペトロがいる。
- Baigent, Leigh and Lincoln, The Holy Blood and the Holy Grail
初代テンプル騎士団グランドマスターであるユーグ・ド・パイヤンは、洗礼者ヨハネを預言者とする分派ヨハネ派の会員であったと言われる。「秘密文書」によると、シオン修道会のグランドマスターには代々ジャン(おそらく教皇ヨハネス23世の名に影響したであろう)という名前が引き継がれた。グランドマスターの名簿中、レオナルド・ダ・ヴィンチは洗礼者ヨハネに強い興味をもっていたし、もう一人、アイザック・ニュートン卿は、当時福音書著者ヨハネが作者とされていた、黙示録に熱中していた。
『秘密文書』によれば、次の者たちがグランドマスターである。
ジャン・ド・ジゾール(1188-1220)
マリー・ド・サン=クレール(1220-1266)
ギョーム・ド・ジゾール(1266-1307)
エドアール・ド・バール(1307-1336)
ジャンヌ・ド・バール(1336-1351)
ジャン・ド・サン=クレール(1351-1366)
ブランシュ・デヴロー(1366-1398)
ニコラ・フラメル(1398-1418):ニコラ・フラメル(1330-1418):パリの代書屋ニコラ・フラメルはあるオカルトの本について夢を見、その後それを発見し、神秘的のヘブライ書物(カバラ)を学んだユダヤ人の助けによってそれを解読することに成功した。ニコラ・フラメルは1382年に「大いなる作業(金の生成)」に成功し、彼は確かに大金持ちになり、教会へ寄付をした。
- Encyclopaedia Britannica
現代の学者によって広く認められている錬金術記号のひとつに、前面はあごひげを持つ老人、その後頭部は鏡を覗き込む若い女というものがある。ナント大聖堂の外壁にはこの像が飾られ、シャルトルの大聖堂の玄関には、体が女性のあごひげを持つ王がいて、シバの女王とされている。
両性具有は、純粋な錬金術的記号であり、「大いなる作業」によって達成される完璧なバランス、そして完璧な存在を表す。錬金術師自身が霊的に変身・変容と遂げ、そして肉体的にも同様である。それは敬虔な思いで達成され、今日の性的な意味はほとんどない。「大いなる作業」は実体化へのポテンシャルの爆発、それは具体的形を呈する神秘的な探求です。錬金術師たちは曰く「下なるもは、上なるもののごとく」。この過程は精神を物質に、ある物質を他の物質へ変成させると信じられていました。それによって、人は神になりました。
- Lynn Picknett & Clive Prince, Turin Shroud - In Whose Image? The Shocking Truth Unveiled
ニュートンのような人物からも尊敬されるフラメルは、『ユダヤ人、王子、祭司、レビ、占星師で哲学者のアブラハムから神の怒りによってゴールに離散させられたユダヤ人への聖なる書』を発見し、西洋の秘儀者たちの間で最も有名な作品となった。
ルネ・ダンジュー(1418-1480):ルネ・ダンジュー(1418-80):ルネサンスの重要な陰の原動力である。彼の文学と、コジモ・デ・メディチへの影響力を通して、ヘルメス主義の砦として「地下水脈」を築いた。伝説ではダンジューはアリマタヤのヨセフの娘アンの血を引き、おそらくダビデの血筋をフランスへ運んだ。後にダンジュー家はギーズ家、ロレーヌ家へ分岐した。
ルネ・ダンジューは婚姻によりフランス王と関係があり、英国との戦いの間も同盟を保っていた。ルネは最も力を持つ一人であったと考えられる。残念ながら、彼のイタリアキャンペーンが失敗に終わった後、彼はもはや芸術や古書収集のパトロンではなくなった。ルネは15世紀に起こったアルカディア復古の協力者であった。
- enoch@execulink.com
ルネは芸術、文学、知識の後援者として、ルネッサンスに先立つ数年間で最も重要な人物の一人であった。ルネのコジモ・デ・メディチへの影響が、彼の古代の文書の探索になり、結果として新プラトン思想、ヘルメス思想の復古につながった。
- Lynn Picknett & Clive Prince, Turin Shroud - In Whose Image? The Shocking Truth Unveiled
イオランデ・ド・バール(1480-1483)
サンドロ・フィリペピ(1483-1510):ボッティチェリ(有名なルネッサンス画家)としての名前の方が有名。ボッティチェリの『春(プリマ=ヴェーラ)』は複雑な新プラトン主義の寓話であり、ポリツィアーノによるいくつかの詩が元になって描かれた。メルクリウス(この人は理性である)は木から果物を取っています。したがって若いロレンツォの理性は人間の文化が結合することによって結実するでしょう。3人の婦人は踊っています。彼女たちは華麗さ、若さ、幸福または美徳です。美しさと誠実さ。それら3つはキリスト教のミステリーについて語ります。同時にそれらはビーナスと結びついています。ピコはビーナスの統一が分割されて、3つの婦人になったといいます。ビーナスの頭の上にいるキューピッドはこれら3人をねらっています。それらも愛によって神を熱望するに違いありません。反対側のゼピュロス(西風の神)は、日没からフローラ(花のドレスを着た穏やかな女神に変身する)とともにやってきます。春の絵であるが、人間の文化をとおして神への愛の目覚めの記号化である。
- John Ferguson, An Illustrated Encyclopaedia of Mysticism and the Mystery Religions
ボッティチェリの有名な作品は他に「ビーナスの誕生」、「Mars and Venus」がある。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1510-1519):彼は正式な教育をまったく受けてはいないが、熱心にニコラス(of Cusa)の新しい世界観(宇宙には限りがなく、時間には始まりも終わりもない)を受け入れ、旧来の権威(修道士や、彼の敵であるプラトンやアリストテレス)を否定した。
イオニア人以来初めて、彼は科学を完全に、宗教的教義・概念に基づかない概念として打ち出した。レオナルドにとって職人、科学者、発明家は同じである。
- Eric Lerner, The Big Bang Never Happened
レオナルドは左利きでした。厳格な菜食主義者でした。死体を解剖しました。錬金術師や魔術師と交わりました。彼は日曜日に働き、宮廷滞在中に行われるミサ以外には出席しませんでした。
レオナルドが製作に関わり、現存する唯一の彫刻は、フィレンツェの洗礼堂にある洗礼者ヨハネの像です。それは有名な魔術師・錬金術師であるジョバンニ・フランチェスコ・ルスティチと極秘に合作されたものです。レオナルドの最後の絵画は「洗礼者ヨハネ」であり、その中でヨハネは「モナリザ」と同じく微笑しています。そして彼は右手人差し指をまっすぐ上方へ指しています。これはレオナルドの作品が常にヨハネと関連していることを示す記号です。「マギの礼拝」では、イナゴ豆の木(ヨハネの木であり、犠牲の血の象徴)の根の側に立っている男がこのしぐさをしています。有名な「聖アンナ」が主題の下絵では、同じくこのしぐさをして、マリアを非難しています。「最後の晩餐」に描かれた、イエスに近づき非難する弟子もまた同じしぐさをしています。これらはすべて「ヨハネを忘れるな」という意味です。
- Lynn Picknett & Clive Prince, Turin Shroud - In Whose Image? The Shocking Truth Unveiled
コネラブル・ド・ブルボン(1519-1527)
フェルディナン・ド・ゴンザーグ(1527-1575)
ルイ・ド・ヌヴェール(1575-1595)
ロバート・フラッド(1595-1637):彼はジョン・ディーの衣鉢を引きつぎ、イギリスを代表する秘術思想家として、薔薇十字運動に関わるアンドレーエと付き合いがあった。
歴史家フランシス・イエーツは著書『薔薇十字団の啓示』の「薔薇十字団とフリーメーソン」の章の中でド・クインシーを引用し、「フリーメーソン主義は薔薇十字思想それ以上でも以下でもなく、それが英国に持ち込まれ修正されて、再びヨーロッパの国々へ輸出された。」ド・クインシーはロバート・フラッドが薔薇十字思想を英国に持ち込み、それに新たな名前を与えた人物であると主張します。
- Gerry Rose ,"The Venetian Takeover of England and Its Creation of Freemasonry"
ヨハン・ヴァレンティン・アンドレア(1637-1654):半秘密キリスト教同盟の創設者であり、聖杯物語やテンプル騎士団への共鳴を引き起こすヘルメス的象徴、薔薇十字団宣言の作者である。この時期ロレーヌ家は没落し、パラティネート公国フリードリヒがイギリスのジェームスI世の娘、エリザベズ・スチュウアートと結婚した後は、シオン修道会はもっと大きな影響力を持つスチュアート家へ忠誠を示すようになった。フリードリヒはハイデルベルグを中心とする宮廷に、「薔薇十字」国家という文化を創った。
- Baigent & Leigh, The Holy Blood and the Holy Grail
フランシス・イエーツ女史の歴史的調査著作を通して、私たちはこの時代が多くの「薔薇十字」思想が大陸へ渡った時であったことを知ることができます。秘術主義者たちはボヘミアのパラティネート公国フリードリヒ選帝候のもとに集まった。彼は教会改革と多くの期待を告げる期待がもたれた人物であった。
- Steve Mizrach, "The Mysteries of Rennes-le-Chateau and the Prieure du Sion"
ロバート・ボイル(1654-1691):活動的イギリスやヨーロッパ思想の一部である「目に見えない学院」が、1660年の君主制の復活の後、スチュアート家代表チャールズ二世の後援により王立協会となった。彼にはアイザック・ニュートンとジョン・ロックという二人の親友がおり、彼らは定期的に錬金術についての書物を研究するため会っていた。
古代において、錬金術は単に「聖なる芸術」と呼ばれていました。それは13世紀初頭にアレクサンドリアで栄え、そこではガラス製品と金属技術の結合であり、4つの要素(土、空気、水、火)を通してすべての物が合一するヘレニズム哲学およびオカルト宗教と占星術である。生物・非生物に関わらずすべての物には精霊が入り込み、低次の物質世界は化学合成操作や想像的な理論によって、高次の精神世界(そこでは物質が朽ち果てることはない)へ変成可能であるという基本原理である。
- David Maybury-Lewis, Millenium
グノーシス主義の中心となる考えは、「魂と真」からなるものが一連の宇宙における不幸な事故により、低次宇宙の異質なものに捕らわれてしまった。錬金術師はこの考えを解釈し、精霊は蒸留など上手く取り扱えば濃い物質基質より取り出せると主張した。
- Terence McKenna, The Archaic Revival
アイザック・ニュートン(1691-1727):彼は錬金術が、その金の生成力を理解することで、人間が世界を形成しコントロールすることを可能にすると信じていた。彼は錬金術をトリニティカレッジやケンブリッジで極秘に一人で行いました。実験のための溶融炉もレンガ工の手を借りずに自分だけで作りました。彼は化学者のジョン・ボイルと彼らの持つ錬金術の知識を外部に漏らさない協定を結びました。なぜなら「繊細」で「高貴」な物質の力と、それをコントロールする方法は、神によって選ばれたものが秘密を守らなければならないからです。
- David Maybury Lewis, Millenium
彼は熱心に聖書のページ内には秘密の知識が隠されていると考えていました。彼の興味を特に引いたものは、旧約のダニエル書、新約のヨハネ書であり、なぜなら「預言の言葉は記号や象形文字で書かれたもので、その理解のためには根本的に異なる方法が求められる」からです。
彼は作業を適切に行えるようヘブライ語を学び、そしてエゼキル書に対して細心の注意を払って実行しました。それによりソロモン神殿の図面を困難な中、再現しました。彼は契約の箱を納めるために建造された大きな建物は、一種の宇宙暗号であったと確信しました。もしこの暗号を解読することができれば、神の心を知ることができるであろうと信じました。
- Graham Hancock, The Sign and the Seal
ニュートンは理性の時代に属する最初の人ではなかった。彼は最後の魔術師であり、最後のバビロニア人で最後のシュメール人であり、一万年前には少し足りない昔に我々の知的財産を築き始めた人たちと同じような目で、可視的および知的世界を眺めた最後の偉大な人物であった。
ニュートンは全世界とその中にあるすべてのものを、純粋な心である証拠・ある神秘に適用することで、解読ができる謎・秘密と考えた。その神秘的手がかりとは、神が隠した世界に関すること。それは秘儀協会への宝探しを許可するものである。彼はこれらの手がかりは部分的に天国の証拠の中、要素構成の中で見つかり、それだけではなく、ある文書の中や完全な鎖の中のものの暗号が見つかることによって同胞によって扱われる伝統の中でも見つかると信じました。
- John Maynard Keynes, Newton the Man
世界が暗黒のカオスから、光の創造の力と高くある天空の分離、そして地球の水の分離によって創造されたように、私たちの仕事も暗黒のカオスと第一要素から要素の分離と、物質の解明を通して生み出される。チャールズ・ラドクリフ(1727-1746):ボニー・チャーリー王子の個人秘書である。フリーメーソンの「スコットランド儀式」を作り、広めた。ラドクリフは「フィラデルフィアン」という疑似薔薇十字組織の会員であったシェヴァリエ・アンドリュー・ラムゼーを通して活動した。このラムゼーはアイザック・ニュートンと親しい友人であり、フリーメーソンを大陸に伝えた。
- Sir Isaac Newton
シャルル・ド・ロレーヌ(1746-1780):ロレーヌ公で、1735年マリア・テレジアと結婚した神聖ローマ帝国皇帝フランソワの弟である。ヨーロッパ初のメーソンとなった王子であり、フランソワのウィーン宮廷は、ヨーロッパフリーメーソンの首都となりました。
マクシミリアン・ド・ロレーヌ(1780-1801)
シャルル・ノディエ(1801-1844):若きヴィクトル・ユゴー、バルザック、Dalcroix、大デュマ、ラマルティーヌ、ミュッセ、ゴーティエ、ジェラール・ド・ネルヴァル、アルフレッド・ド・ヴィニーを含むすべての世代に及ぶ華麗な師である。彼らすべては秘儀・ヘルメス思想を伝承している。1793年頃、彼はもう一つのグループ、またはおそらく「フィラデルフィアン」の内部サークルを作り、その中にはナポレオンに反対する陰謀に関わった者がいる。
- William T. Still, New World Order
ヴィクトル・ユゴー(1844-1885):20世紀には戦争、フロンティア境界、キリスト教教義はなくなり、そして人間は生きていると予言しました。「人間は偉大な国、全地球、大きな希望、全天よりも高貴なものを所有することになるでしょう。」
- Marilyn Ferguson, The Aquarian Conspiracy
クロード・ドビュッシー(1885-1918):オスカー・ワイルド、W.B.イェーツ、ステファン・ジョージ、ポール・ヴァレリー、若いアンドレ・ジッドおよびマルセル・プルーストを含んでいた象徴主義者サークルの重要なメンバー。さらに彼はいわゆる薔薇十字のカバラ的団体を設立したMarquis Stanislas de Guaita、そして悪名高き悪魔主義者で、MacGregor Mathersに黄金の暁団の創設を促したJules Boiseとも付き合いがあった。
ジャン・コクトー(1918-):彼はジャック・マリタンとアンドレ・マルローの仲間で、(密かなレジスタンスとしての活動により?)レジオンドヌール勲位の勲爵士となりました。彼は保守的カトリック教会に属していましたが、コクトーのカトリック教義は正統を外れ、彼が改装した教会は、薔薇十字の主題を反映していました。
(1) ナポレオン・ボナパルト
シオン修道会は2つの反君主制運動、17世紀のサン=クレマン修道会(ギーズ=ロレーヌ家の大義のための活動)および18世紀のフロンド党の乱の裏側に存在しました。さらに19世紀のヒエロン谷の黄金団の求めた、すべてのヨーロッパ皇帝をハプスブルグ家にする同じ試みを計画していました。
- Steve Mizrach, "The Mysteries of Rennes-le-Chateau and the Prieure du Sion"
1740年には、マルタ騎士団のグランドマスターが教皇クレメンスXII世の布告を島に発し、フリーメーソンの会合を禁止しました。これを機に数人の騎士や多くの島民が島を去りました。また1741年には異端審問所がマルタ島のフリーメーソンを迫害しました。グランドマスターは厳罰をもって会合を禁止し、6人の騎士が会合を支援したかどで島を永久に追放されました。
- Commander Gourdin (from A Sketch of the Knight Templars and the Knights of St. John of Jerusalem by Richard Woof)
1796年、ナポレオンは革命政府を率いる3人の「指導者」のうちの一人でした。もう一人の「指導者」シエイエスはピション神父によって行われたある家系調査のことを知っていました。ピション神父は革命政府に押収された王家の文書に触れることができ、そこには隠されたいくつかの家系図があり、彼はダゴベルト2世からその当時まで直接繋がる系図を発見しました。
※このナポレオンが調査を依頼した系図こそ、「プレウレ文書」がそのほとんどを頼っている系図である。シエイエスはナポレオンにジョセフィーヌ・ボーアルネと結婚し、そして前の結婚でできた2人の子供を養子にするよう促しました。なぜなら彼女はメロヴィング家の血を引き、子供たちには太古の王の血が流れているからです。1798年にはエジプトへ向かう途中で、ボナパルトはマルタ島へ迂回し、島を接収し、その宝を奪いました。
フランスにとって幸運だったのは、聖ヨハネ騎士団とは争いが全くなかったことでした。最後のグランドマスターであったvon Hompeschはボナパルトの条件を受けいれる際に、戦わずに降伏しました。3人の死者の代償として、フランスは貴重な海軍基地と莫大な財宝を獲得しました。
島を接収してから5日間、ボナパルトはすべての面でマルタ島人の生活を取り壊し、作り直しました。聖ヨハネ騎士団は廃止され、エジプト軍に加わるように説得された一握りを除き立ち退きました。騎士団の500年にわたって蓄積されてきた財宝は速やかに接収され、それらは700万フランの価値がありましたが、軍隊の金庫に入れられました。
- David G. Chandler, The Campaigns of Napoleon
1804年の皇帝としての戴冠式では、彼の皇帝の戴冠衣は、クロヴィスの父であるキリデリクI世の墓から見つかった黄金の蜂の模型で飾られた。ナポレオンの形式は「フランスの皇帝」ではなく「フランク人の皇帝」としてのものでした。
- Michael Bradley, Holy Grail Across the Atlantic
ナポレオンの皇帝のローブの黄金の蜂の手掛かりは、サーマン(Sarmoung or Sarman)教団かもしれません。
テンプル騎士団のSaint-Yves d'Alveydreは中世初期のカロリング家に戻った同盟と世界平和のポリシーをあらわしました。(彼よりもずっと後になるが)シャルル・ド・ゴールを含む多くのフランスの保守的な人たちは、フランスの旧体制(アンシャンレジーム)は間違った転換を起こし、その後の不幸の原因になったと考えている。彼がテンプル騎士団を、フランス王制の解決として選んだことは間違っていました。テンプル騎士団は彼に何の働きもしなかったし、彼のテンプル騎士団についての推測はアルクの古い白昼夢でした。
[彼らは中世を強大なマニ教の陰謀で埋め尽くされたと描写した。]
ビシー政権はフリーメーソンを法律で禁止し、メーソンを特定したり、活動に対抗する際にはドイツ人と協力しました。しかし政権の内部さえ、フリーメーソンが本当に追放されたのか非常に疑わしい。「Chavin Report」と呼ばれる、おそらく政権の内部または非常に近いところから出たものがあり、1920年代から存在する「synarchist(共同支配者たち)」と呼ばれるメーソン的政治結社の重要な役職に多くがついていることが述べられている。これらの共同支配者たちは有力な政治家、ビジネスマン、「テクノクラート」の集まりとして現れ、有名な「1922年の共同支配者革命協定」以来権力を奪うことを計画していた。
- Peter Partner, The Murdered Magicians
第二次大戦中フランスではAlpha GalatesのグランドマスターであったM. プランタールがシオン修道会のグランドマスターであると自ら宣言しました。ユダヤ人とメーソンはこれを歓迎せず、『ヴァンクル(Alpha Galatesジャーナル)』はヒットラーにフリーメーソンの陰謀を警告しました。戦争が終わりフランスの協力者たちから遠ざかった後、プランタールは、自分はレジスタンス活動を実際行っていたと言いました。
ヴィシーおよびペタン政権下、『ヴァンクル(Alpha Galatesジャーナル)』にはレジスタンスだけが解読できる暗号文と指示が含まれていたと彼は仄めかした。『ヴァンクル』はレジォンドヌール勲爵士であり、戦功十字勲章を持つレジスタンス指導者Poirier Muratによって発行された。
『ヴァンクル』によると、騎士道はフランス全土を改革する道具であった。なぜなら騎士の思想なしに我が国は再起できないから、騎士道は必須である。
※戦時中にはさまざまなレジスタンス集団が『ヴァンクル(=勝利)』という機関誌を発行していた。1943年1月21日付け、『ヴァンクル』第5号誌上で、「我々の騎士団のマスターのひとりのドイツ人」の発言として、「したがって、私は私の任務を実行し始めることに完全な確信を持っています。危険だからと任務から離れるような自分を裏切るようなことはなしに、私の最後の息があるまで、私のスローガンはAlphaとfidelityのチーフの認識の下に存在するだろう。」
1973年2月13日の『ミディ・リブレ』誌では、メロヴィング家の子孫が存在し、フランスの王座を主張する者はM. アラン・ポエールとしている。彼は第二次世界大戦中にレジスタンス勲章と戦功十字勲章を得た。ド・ゴールの辞職に伴い、彼は1969年4月28日から6月19日までフランスの臨時大統領を務めました。同じく1974年4月2日から5月27日までジョルジュ・ポンピドゥーの死去に伴い同じ任務を務めました。1973年、M. ポーエルはフランス上院議長でした。
- Baigent and Leigh, Holy Blood and Holy Grail
第二次世界大戦中、ポーエルはレジスタンス活動の中で英雄的行為により、レジスタンス勲章と戦功十字勲章を獲得、一方プランタール(後のシオン修道会の総長)はナチスに抵抗し、拷問を受けた。ロレーヌの十字架はシャルル・ド・ゴールの自由フランス軍のシンボルとして採用された。この十字架は一本ではなく、二本の横木があり、聖杯伝説の物語で見つけられる、古代フランスのアンジュー家が起源です。後にライン川を渡り、シカンブリア人の中核としてロレーヌをメロヴィング家が支配したときにそれは採用された。
- Michael Bradley, Holy Grail Across the Atlantic
1947年に彼[ピエール・プランタール・ド・サンクレール]はスイス連邦政府に招かれ、レマン湖のほとりに数年間滞在しました。そこは全世界から特使や代理人が集まる場所です。
- Anne Lea Hisler (プランタールの妻)
ヨーロッパの金融と政治の復興のための計画であるマーシャルプランは、スイスのレマン湖で繰り返し検討されました。アメリカ大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトはこの計画を承認し、彼の親しい2人の友人とアドバイザーはピエール・プランタールのいかがわしい背景に興味を持った。そのアドバイザーの中のひとり、金融の魔術師バーナード・バルークはフランスのヘルメス学院を卒業し、マーシャルプランの金融を構築しました。彼は戦後まもなく、レマン湖を頻繁に訪れました。
バルークはカタリ派神秘主義者で、「Institure for the Harmonious Development of Man」を1920年から30年代、フランスのフォンテンブローに設立したGeorge Gurdjieffの弟子であった。
- Michael Bradley, Holy Grail Across the Atlantic
1957年には、内戦の亡霊がぼんやり現れました。アルジェリアにおける半秘密結社のネットワークComited de Salut Public(公安委員会)が現れ始めました。フランス革命の間公安委員会に基づいて、アルジェリアのネットワークは利権を確保し、北アフリカのフランス軍や人民が、アルジェリアの独立に対する防波堤、永久にフランスの植民地であるようにまとめ上げることを試みました。彼らはマーシャル・アルフォス・ジュエといったシオン修道会の重要なメンバーとされている軍の高官の支援を受けた。
1958年4月に新たに選出された政権は、アルジェリア危機を解決するために、植民地に独立を与える意向を表明しました。公安委員会の反応は、アルジェリアでd'Ztatの政変を仕立て上げ、フランスで設立された委員会はドゴールが政権に返り咲くことを助けました。少なくともいくつかのフランスの委員会の主要な目的はド・ゴールを大統領にすることで、全く無関係ではないにしろ、アルジェリアは付帯的なものであったのかもしれません。このことを明らかにすることは難しいのですが、しかしそれは単に、特にフランスにおける委員会の存在が影の多いものであるからです。それらは確かに広く浸透し、通常軍と多くの繋がりを持つよく組織された真の「秘密の軍隊」です。しかしそれらに関する確実な情報を得ることは事実上不可能です。そして信頼できる文書も事実上存在しません。
ド・ゴールがアルジェリアの国家主義的指導者と国の独立について交渉を始めたとき、アルジェリア委員会は「OAS, the Organization de l'Armee Secrete(秘密軍組織)」を作り、ド・ゴールへ裏切ったと見なす者には復讐する誓約を取った。本国の委員会を解散させ、アルジェリアの委員会を孤立させるために、M. プランタールはパリ中央委員会を発足させ、それにはすでに存在する委員会よりもある種特別の権限を与え、効果的にそれらを乗っ取るように進んだ。ド・ゴールはその間、彼を権力から追い出そうとする「草の根運動」や、その組織が彼に反抗する前に解体するというやっかいな過程から、オリンポス山のような静寂を保つことができました。
アンドレ・マルローはド・ゴールの地位を守り、権力をねらう共産主義者の試みを妨害するために1947年に私兵団、RPF(Ressemblement du Peuple Prancais)を動員した。彼もシオン修道会のメンバーだと言われています。
- Baigent and Leigh, Holy Blood and Holy Grail
イエスの血脈?
「聖杯(le saint graal)」と「聖血(Sang real)」との混乱はトマス・マロリー卿の『Le Morte D'Arthure』(15世紀)中の綴り間違いが起源です。ベイジェント、リー&リンカーンの主張する「聖杯」が「聖血」の語源となったようなことはありません。
誰かが言った。「メロビング朝は、どこか胡散臭い(fishy)な。」この短い言葉で目から鱗が落ちた。ピンとひらめいた。魚(fish)。初期のキリストのシンボルだ。メロビング朝がかくも胡散臭い(fishy)のは、彼らがキリストの子孫だからではないか?こうして仮説が生まれたのだ。
- Da Vinci Code Decoded (Henry Lincolnへのインタヴュー)
羊皮紙に関する混乱
レンヌ・ル・シャトーの住人で、アントワーヌ・キャプティエによると、彼の祖父はソニエールの鳴鐘者であったが、初めに頂上が取り外せる石柱を発見した。この鳴鐘者が発見したものは4枚の羊皮紙ではなく、内側に巻かれた紙が入ったガラス瓶であった。現在はレンヌ・ル・シャトーのソニエール博物館に展示されているが、石柱の小さいくぼみは羊皮紙を入れておくには小さすぎる。博物館にはスライドするパネルによって持ち隠された空洞を持つ別の柱があるが、これは石柱ではなく、堅いオークから作られている。博物館によると、実際にガラス瓶が見つかった柱はこちらだと言うことだ。ソニエールは瓶に入った紙に書かれた内容については明らかにしなかった。
ソニエールのパリへの旅行
ソニエールは彼の発見に引き続き、1892年3月に5日間パリを訪問したらしい。そこで彼は、聖シュルピス教会でミサを執り行った。『The Holy Blood and the Holy Grail』の作者たちは、この旅でソニエールが(ほかの2枚とともに)プッサンの絵画の複製を購入したと主張する。しかしルーブル美術館は1901年以前に『アルカディアの羊飼いたち』の複製は存在しないと記録している。
神学校の図書館員からの手紙からは、ソニエールが聖シュルピス教会を訪れたことも、ミサを行った証拠も見つからない。さらに多くの歴史美術家(たとえばオックスフォード大学美術史教授マーディン・ケンプ)はプッサンの絵画の中の奇妙な幾何学図形の存在を否定している。
- "The History of a Mystery", TimeWatch, BBC (1996)
ソニエールの財
ソニエールは秘密を持っていました。彼は一日3回までの規則を越え違法なミサを執り行い、これをフランス中や国外へ宣伝しました。残務に追いつかないほど多くのミサを行い、数千フランを稼ぎました。彼はカルカソンヌの司教に説明を求められ、停職されましたが、このときまでにすでに教会の補修、司祭館と塔の新築はこの不正な収入以外から終わっていました。
ソニエールの司祭館、図書館、周囲を見渡せる壮大な景色が広がる奇妙な石造りの円形の塔の間にある現在は成長しすぎた庭からは、莫大な財宝というよりも、堅い資産家という感じを受けます。
有名な教会考古学者Quatrefages神父によると、「ソニエールは祭壇の改修中に思いがけず教会の下の2,3の墓を発見した。そこで宝石(西ゴート族のネックレス、ブレスレット、古いコイン)、それほど古くない(14世紀頃?)黄金の杯を見つけた。彼はそれらのほとんどを家政婦や同僚にあげた。(その子孫たちは現在もそれらを持つ。)暗号文書など存在しない。物語の作者が主張する窪んだ柱は単なる岩である。教会の装飾には秘密などなく、ほとんどの物品は業者のカタログ中に見つけることができ、フランスのどこでも見ることができる。」ということだ。
墓のミステリー
彼の発見から何年も経って、言い伝えによると、ソニエールは墓(墓石と墓碑銘からなる)に刻まれた不可解な碑文を、ほかの人間が同じ道を辿ることの無いように破壊した。しかし墓はジェラール・ド・セードの『L'Or de Rennes-le-Chateau』の中でブランシュフォール候妃のものであると特定されたが、ソニエール自身はその墓が誰のものであるかは一度も明らかにしなかった。
「墓碑銘のほうは、きちんと文書に残されています。その墓碑銘は1905年にその地方を調査にきたオード県の科学協会が写しとり、その旅行の記録とともに協会誌に掲載されている。
- Richard Andrews and Paul Schellenberger, The Tomb of God
『L'Or de Rennes-le-Chateau』(ジェラール・ド・セードとプランタールが共同で制作した)はウージェヌ・スチュブランの『ラングドックの石碑』から2つの墓の図を引用している。スチュブランはイラスト入りの(Etablissements Thermalと呼ばれる)リヨンの温泉旅行ガイドで有名でした。しかし『ラングドックの石碑』と旅行ガイドの署名は一致しませんし、墓の図は明らかに偽物です。アンドルーズとシェレンバーガーは墓石の図が彼らの理論の中心でないことから批判を退け、絵画や羊皮紙から証明します。その上で彼らは、偽造者自身がシオン修道会のメンバーであり、真の秘密を知っていることもあり得ると付け加えます。
秘密文書
フランス国会図書館には、『秘密文書』と呼ばれる書類が存在している。あれは何の証明にもならない。我々は何度も『秘密文書』を調べた。信頼に足りる証拠と見なすべきではない。どんな資料でも捏造できる。はたしてそれらに信憑性はあるのだろうか?(中略)書かれた本は全て、私の著作も含めてどんな正当性もない。
- Da Vinci Code Decoded (Henry Lincolnへのインタヴュー)
シオン修道会の起源
プランタールは以前には、ヴィシー政権に協力的なAlpha Galatesと呼ばれる組織を作り、騎士道の精神でフランスを革新することに取り組み、自身をそのグランドマスターに任命した。シオン修道会は同様の奇矯な議定書を集めたものです。
この不可解な秘密結社は1956年に自らその存在を明らかにし、フランスの団体・組織の辞典には「カトリック規則による騎士道精神と独立伝統連盟組織」のサブタイトルが付けられ掲載されています。フランスの省略名ではCIRCUIT(Chivalry of Catholic Rules and Institutions of the Independent and Traditionalist Union)であり、この名前の雑誌がメンバー内に発行されていました。
- Steve Mizrach, "The Mysteries of Rennes-le-Chateau and the Prieure du Sion"
中世にはシオン修道会が確かに存在していましたが、しかしプランタールのシオン修道会と歴史的に繋がっているという証拠はありません。
事実特許状の記録では修道院はabbey(大修道院)となっていて、priory(小修道院)ではありません。
- "The History of a Mystery", TimeWatch, BBC (1996)
1619年から続く文書によると、シオン修道会はルイ13世の機嫌を損ね、オルレアンから立ち退かされ、その土地はイエズス会に明け渡されたと述べられている。その後シオン修道会の名は、少なくとも1956年にフランスの官報に現れるまで歴史の記録から消されていた。
- Baigent, Leigh & Lincoln, The Messianic Legacy
プランタールはサン=ジュリアンでシオン修道会を登録しました。彼は修道会を古代の修道院ではなく、近くのシオン山にちなんで名付けました。アンドルーズとシェレンバーガーは(中世の)シオン修道会には「真の薔薇十字会」というもう一つの名称があり、17世紀の薔薇十字運動に関わっていたと書いています。元になったシオン修道会は歴史から消えてしまいましたが。
- "The History of a Mystery", TimeWatch, BBC (1996)
プランタールの系図
プランタールはメロヴィング朝の王、ダゴベルト直系の子孫である系図を示し、ド・セードとヘンリー・リンカーンを納得させました。
実際、プランタールの王の血筋は別の偽造に基づくものです。彼の名前は、有名な歴史雑誌から取ったものを系図に挿入しました。彼の本当の先祖は、16世紀にクルミを育てた農夫でした。
- "The History of a Mystery", TimeWatch, BBC (1996)
プランタールはフランス王の後継者である正当性を主張できませんが、彼は真の、しかし落ちぶれた貴族、Marquis Phillipe de Cherissyに支援されました。彼がまさにプランタールとともに『秘密文書』を図書目録にしたがいパリ国立図書館に置いた人物です。結局、プランタール、de Cherissy、ジェラルド・ド・セードは金銭絡みで不和になりました。
暗号文書に隠された秘密
彼らの不和の後、プランタールはド・セードの本に書かれた羊皮紙は偽物であることを暴露しました。私は1971年にPhillipe de Cherissyからジェラルド・ド・セードの本で紹介された2枚の羊皮紙の作者が自分であるという手紙を受け取りました。
私はプランタールについての本を書き、彼は私を信頼してくれたので、元の文書を見せてくれました。
- Pierre Jarnac, author of The Archives of the Treasure of Rennes-le-Chateau
JarnacはBBC撮影のために文章を作成しました。羊皮紙文書1に関する注釈の中で、プランタールは「この文章の元になったものはPhillipe de Cherissyによって偽造されたもので、ジェラルド・ド・セードの本『L'Or de Rennes-le-Chateau』のなかで紹介されている。」と記しました。
44ページからなる未出版の『Stone and Paper』と呼ばれる文書中には、de Cherissyがどのように文章を偽造し、暗号を作成し、どのように解読できるか書かれている。
- Pierre Jarnac, author of The Archives of the Treasure of Rennes-le-Chateau
『Stone and Paper』によると、羊皮紙文書2中の暗号解読は次の通りです:
681 | ダゴベルト王が殺害された年 |
SHEPHERDESS | 羊飼いが穴に落ち、黄金の壺を見つけたという地元の伝説から |
POUSSIN | 言葉遊び:「poussin」はフランス語で「鶏」、そして「Hautpoul」は「大きな鶏」を意味する。レンヌ・ル・シャトーのHautpoul-Blanchefortsを指している。 |
LA CROIX | アレ・レ・バンの北で交わる線路(アンドルーズとシェレンバーガーと唯一一致する。) |
CHEVAL DE DIEU | 「神の馬」ではなく、de Cherissyの陰謀(cabal)を指している。 |
BLUE APPLES | メーソン内の冗談で、「自分自身をいたずら者と呼ぶ人が作った語呂合わせやアナグラムでいっぱいの内容のない文章」から |
最後まで読んでくれてありがとうございます。そして最近テレビでもこのネタが多く取り上げられ多くの人がこのページを見に来ているので、ちょっとだけ本当のことを書いておきます。シオン修道会は存在しません。根拠とされた『秘密文書』それ自体が、プランタール氏の捏造であったことが明らかです。ソニエールが発見したとされる暗号文はフィリップ・ド・シェリセイ氏の捏造です。ソニエールのお金の出所もほぼ判明していますし、レンヌ・ル・シャトーには宝なんかありません。またイエスが結婚していたという主張は、ヘンリー・リンカーンが始めたものではありません。詳しく知りたい方はレンヌ・ル・シャトーの財宝伝説を買ってね。
飛行機ではトゥールーズ、ペルピニャン、カルカソンヌ経由で、電車ではナルボンヌまたはボルドー経由で、カルカソンヌまでたどり着けます。そこからはローカル線でQuillan行き(降車駅はQuiza-Montazals)か、車で行きます。
レンヌ・ル・シャトーはカルカソンヌから南へ40キロの場所にあります。QuizaからはSals川を渡り、左手に大きな看板「Rennes-le-Chateau, Son Sites, Ses Mysteres」が見えます。
★トゥールーズへの交通
パリ、オステルリッツ駅からトゥールーズ、ナルボンヌ、バルセロナ方面行きの特急で約6時間。ボルドーからはトゥールーズ、ナルボンヌ方面行きで約2時間20分。
★カルカソンヌへの交通
トゥールーズからナルボンヌ方面行きの列車で約50分。ナルボンヌからは30分。ボルドーから約4時間。
BBC Timewatch
このように英国では1996年にレンヌ・ル・シャトーは全部デタラメでしたって検証番組を作りました。
レンヌに関する書籍は、日本でもいくつか翻訳されています。
レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説 マイケル・ベイジェント, リチャード・リー, ヘンリー・リンカーン=著 林 和彦=訳 柏書房 ¥4,800 Holy Blood, Holy Grail(1983)の翻訳です。 |
隠された聖地―マグダラのマリアの生地を巡る謎を解く ヘンリー・リンカーン=著 荒俣 宏, 平石 律子=訳 河出書房新社 ¥1,600 The Holy Placesの翻訳です。 |
イエスの墓 リチャード・アンドルーズ, ポール・シェレンバーガー=著 東江 一紀, 向井 和美=訳 日本放送出版協会 ¥3,800 The Tomb of God(1996)の翻訳です。 |
レンヌ・ル・シャトーの財宝伝説―ベランジェ・ソニエールの真実 ビル・プットナム,ジョン・エドウィン・ウッド=著 高橋 健=訳 無頼出版 ¥5,000 The Treasure of Rennes-le-Chateau (2003)の翻訳です。 |
Holy Blood, Holy Grail (1983) Michael Baigent=著 |
The Messianic Legacy (1989) Michael Baigent=著 |
Secrets of Rennes Le Chateau (1992) Lionel Fanthorpe, Patricia Fanthorpe=著 |
The Tomb of God: The Body of Jesus and the Solution to a 2,000-Year-Old Mystery (1996) Richard. Andrews, Paul Schellenberger=著 |
Key to the Sacred Pattern: The Untold Story of Rennes-Le-Chateau (1998) Henry Lincoln=著 |
Rex Deus (2000) Mary Hopkins, Graham Simmans, Tim Wallace-Murphy=著 |
The Accused Treasure of Rennes-le-Chateau (2001) Gerard de Sede=著 Bill Kersey=訳 L'or de Rennes ou la vie insolite de Berenger Sauniere, cure de Rennes le chateau(1967)からの英訳です。
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Sacred Treasure, Secret Power (2001) Robin Mackness, Guy Patton=著 |
The Paradise Co-ordinates (2002) John Pollard=著 |
The Treasure of Rennes-le-Chateau (2003) Bill Putnam, John Edwin Wood=著 |
The Church of Mary Magdalene: The Sacred Feminine and the Treasure of Rennes-Le-Chateau (2004) Jean Markale, Jon Graham=著 |
Still Spins the Spider of Rennes-le-Chateau (2004) Bill Kersey=著 |
Mysteries of Templar Treasure & the Holy Grail:The Secrets of Rennes le chateau (2004) Lionel & Patricia Fanthorpe=著 |
Sauniere's Model and the Secret of Rennes-le-chateau:The priest's final legacy that unveils the location of his terrifying discovery(2004) Andre Douzet=著 |
仏語
L'heritage de l'Abbe Sauniere (1995) -Claire Corbu & Antoine Captier |
Le fabuleux tresor de Rennes-le-chateau!:le secret de l'abbe Sauniere (1995) -Jacques Riviere |
Rennes le chateau:le secret de l'Abbe Sauniere (1995) 漫画です。 |
Henry Lincoln's Guide to Rennes-le-Chateau Henry Lincoln=出演 Illuminated word (2001) 60分×2巻 |
The Secret Henry Lincoln=出演 Illuminated word (1993) 100分 1992年にDiscovery Channelが制作したものです。 |
Der Rennes le Chateau Report -Peter Ernst |
Rennes le chateau:du Tresor au Vertige -Ceorges Combe |
Le Secret des Templiers |
レンヌ・ル・シャトーの謎 -テンプル騎士団の財宝を求めて 無頼出版(2004) |
Rennes-le-chateau:...in the tomb of the Lords... |
Rennes-le-Chateau le CD-ROM:Terribilis est locus iste |
Rennes-le-chateau:Une Histoire d'Apocalypse -Paul Romelle |
その他
トリノ聖骸布の謎 リン・ピクネット, クライブ・プリンス=著 新井 雅代=訳 白水社 ¥2,427 Turin Shroud - In Whose Image?(1994)の翻訳です。 |
マグダラとヨハネのミステリー リン・ピクネット, クライブ・プリンス=著 林 和彦=訳 三交社 ¥2,000 The Templar Revelation(1997)の翻訳です。 |
キリストと黒いマリアの謎 (2000) 異端・自由思想・ラテン系フリーメーソン 清川理一郎=訳 彩流社 ¥2,200 |
ダ・ヴィンチ・コードの嘘
新潮45(2005年4月号)、世界的ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」の嘘、竹下節子
eiga.book 2005 Summer 聖杯伝説の故郷を訪ねて 高橋 健 |
ダ・ヴィンチ・コード最終解読 皆神 龍太郎=著 文芸社 ¥1,365 |
The Da Vinci Hoax, Carl E. OLSON & Sandra Miesel
Secrets of the Code, Dan Burstein
priory-of-sion.com by Paul Smith