ジョン・ディーはイギリスのロンドンで1527年7月13日生れた。彼は錬金術師、占星術師、数学者であり、イギリスにおいて数学の復興に貢献した。
- Encyclopaedia Britannica
ディーはひときわ優れた学生で、15歳でケンブリッジ大学に入学した。ディーはケンブリッジでも抜きん出ていて学位をとる前に
Underreader (学部3年生のとき)と呼ばれた。卒業後彼は勉強を続けるためヨーロッパ大陸に渡り、彼は古代ギリシャのユークリッド数学の最近の研究成果を講義し、23歳にしてパリで一夜にして名声を手にいれた。
-Visions and Prophesies
ヨーロッパ大陸で1547年から1550年まで講義した後、1551年彼はイギリスに戻り、政府から奨励金を与えられた。ディーは女王
Mary Tudor (在位1553〜1558)の占星術師となった。その後少しの間魔術師として投獄されたが、1555年解放された。
-Encyclopaedia Britannica
ディーは女王 Maryによって軟禁されていた未来の女王 Elizabeth (クイーンエリザベス)に会い、二人は生涯続く友情を深めた。女王となったエリザベスはディーにお金を与え、そしてもっと重要なことは彼女は彼を魔術師と非難する者達から保護した。
-Vision and Prophesies
このほかにもエリザベスT世朝で占星術(astrology and horoscopy)を実践し、彼女の寵愛を享受した。彼は新大陸への探検をする水先案内人、航海者に助言もした。彼はエリザベスの即位にふさわしい日を決め、彼女に彼の秘法の書物の解釈を教えた。
-Encyclopaedia Britannica
ロンドンのそばのモートレークのディーの家はイギリスにおいて何年間も主要な科学の中心地であった。ディーは宗教改革のときローマカトリック教会、修道院から略奪されて四散した本を回収し、当時のヨーロッパとしては最大の4000冊の私設図書館を作った。
-Vision and Prophesies
1570年に初めてユークリッドの業績が英訳されたが、その著者は Sir Henry
Billingsley となっている。彼は州知事、後はロンドンの市長となる。ディーはおそらくその一部分、いや全てを書いたのだろう。加えて彼は序文で数学的芸術に対する興味をいっそう促進させた。
-Encyclopaedia Britannica
...ディーは彼の図書館で本に向かい、タルムード(ユダヤの律法)の秘密、薔薇十字の思想、聖体の暗黒、その他オカルト的なものを探求した。
-Daniel Cohen, Masters of the occult
1581年にジョン・ディーの人生は大きく変わることとなった。彼は後に、その秋のある日の祈りの中で何が起こったかを書き残している。「突然目の眩むような光が照り輝き、その光の中心には、大天使ウリエル(Uriel)が立っていた。」その精霊はディーに「最も輝き、最も透明で、素晴らしい、卵の大きさほどの水晶(=shew-stone)」を手渡した。そして(その精霊は)彼に、それを見つめることで他の世界の精霊達と交信することができることを告げた。
-Visions and Prophesies
ずっと彼が見たイメージについて考え過ぎた結果彼は病気になってしまい、彼は最終的に天使が現れて、彼の友となること、一生付き添ってくれると約束してくれたんだと、そう思い込むことにした。
-Charles Mackay, Extraordinary Popular Delusions and the Madness
of Crowds
ジョン・ディーはこの見込みに有頂天になったが、しかし、天使との約束にも関わらず、この"shew-stone"を用いた水晶占いには運がなかった。この科学者は他人を雇う際に水晶占いを用い、精霊と直接会話した。その間中彼は正確な記録をつけた。
彼のもとに一番長くいた人物はEdward Kelley(エドワード・ケリー)であり、古典的なルネサンスの悪党である。ケリーは昔、法律家であったが、ディーに会う前にすでに(刑として)耳を切り取られ、偽物(付け耳)をつけていた。彼はまた、降霊術の実験に死体を使っていたことにより、黒魔術の疑いを掛けられていた。
水晶を見ていて彼[ケリー]はディーに「水晶の中心に丸い火花のようなものが現れ、そしてそれは大きくなり、直径12インチかそこらの球体になった」と報告した。この輝く球の中心で、ケリーは大勢の精霊たちに向かって、ディーに他の何よりも「エノク語」を教えることを要求した。エノク語とは天使とエデンの園の住人たちの間で話されている言葉である。実際、ディーの主張したエノク語の記録は精巧なものであり、いくらかの読者を、それらが真にヘブライ語以前の言葉であると騙すには十分であった。しかし少なくともこれを調べた一人は、エノク語は暗号であり、ディーが英国諜報機関の設立メンバーとしての能力を示すために、女王エリザベスに海外からメッセージを伝えることに使われた、と主張した。
-Vision and Prophesies
私は自分がタルボットであることを忘れてからずいぶんになる。それは、少なくとも、自分のことをケリーと呼んでもらおうと決心してからのことである。でも、私がやったことは、たかだか記録を偽造しただけのことで、そんなのは誰もがやっていること。女王陛下の家臣は冷酷だ。私の切断された哀れな耳を覆うために、この黒帽を無理やりかぶらせた。それで誰もが私のことを魔術師ではないかと噂している。それもやむをえない。そういう噂がたてば、ディー博士の株がそれだけ上がるというもの。
-ウンベルト・エーコ, フーコーの振り子
ディーとケリーは何百回にも及ぶ精霊との会話を記録している。その中では英語ではない、天使の言葉と呼ばれる、エノク語を含んでいる。しかし、最近行われたコンピュター解析の結果は英語と奇妙なほど文法構造は一致する。
-Terence McKenna, The Archaic Revival
その発見されたエノク語を実際に聞くことはできた。初期にディーによって発音されたエノク語は実際に舌がかり、神がかりのような(不可解な)ものであった。記録されたこの言語には、実際の言語の記号や、どんな種類のシンタックスも示していない。これはLiber
Logaethや「Book Speech from God」を意味する。48回のcallを書き取られて初めて、現在使っている言葉が現れる。一回一回のcallは決まった単語が使われて、その間中真の文法を持って繰り返される。このcallの発音は英語の発音に非常に近いものがあり、少なくとも4世紀前のものにはかなり近い。
-Frater Inominandum, "Who the Hell is This Enoch Guy Anyway?"
多くの魔術師たちはエノク語を、全ての人間の言葉よりも以前から存在する言葉であると断言した。Gerald
J. Schuelerはエノク語のマジックについての研究で一流と広く認められている人物である。Mr.
Schuelerはエノクの魔術はAleister Crowley(クロウリー)やGolden Dawn やThe
Necronomicon(ネクロノミコン)よりも強い体系を持っており、異次元の知的存在との交信に使われたとした。
-Parker Ryan, "Necronomicon Info Source"
現在では一般にオカルト研究者たちの間では、ディーとケリーによるエノク語の体系は(ネクロノミコン)に影響を受け、Alhazredのテクニックを用いて古いものを呼び起こした、とされている。忘れていけないのは、ネクロノミコンは初めは歴史として意図され、そしてしばらくして、いくつかの実際的な詳細と、公式を与えられた。それらはほとんど人間を越えた知性を呼び出すための初心者のための手順を乗せたガイドだ。ディーとケリーはたくさんの詳細を詰め込まなければいけなかったし、したがってネクロノミコンと彼ら自身の発見したテクニックをハイブリッドにしたシステムなわけだ。多少の疑問が残る...エノク語とエノク語のCallやKeyは確かに借用されたものだ。そして我々は、ケリーが大天使ウリエルから授かったというディーの主張を疑わなくてはいけない。
-Colin Low, Necronomicon FAQ
(Compiled from The Book of the Arab, by Justin Geoffry,
Starry Wisdom Press, 1979)
しかしディーとケリーはエノク語のアルファベットにたどり着いた最初の人物ではない。Pantheusによって1530年に書かれた錬金術の文書「Voarchadumia」には18文字エノクにあるアルファベットがある。大英博物館にあるこの写本のコピーには、ノートの欄外に多数のディーによるアルファベットの書き込みがある。1559年からのノート、しかし21文字のディーによるアルファベットはPantheusによるアルファベットと似てはいないが、その文章からアイディアを得たことは十分に考えられる。一般にエノクの書はギリシアとエチオピアから発見されたものが知られている。Donald
Laycockはディーがこの写本のコピーを見つけたのだけれども、翻訳できずに、これに基づいた独自の言語を発明した可能性を提唱した。
-Frater Inominandum, "Who the Hell is This Enoch Guy Anyway?"
ディーとケリーによると、NephilimとGiantsとWatchersは、ウリエルの命令の下、エノク語を呼び起こせたと主張した。"Call of the Thirty Aethyrs"
30のAethyrsに入るためには神ののろいから始まる、なぜならそれは呼び出す実在するもの、NephilimやThe
Fallen OnesやThe Great Old Onesを制御することを主張するからである。これは精霊やネクロノミコンでAlhazredによるシステムにおけるのと同様、確かに実際的であり、ディーとケリーによるエノクシステムの疑いを払拭することができる。(自分でも何を意味しているか分かりません。すみません。)
-Colin Low, Necronomicon FAQ
(Compiled from The Book of the Arab, by Justin Geoffry,
Starry Wisdom Press, 1979)
注意深くディーの日記を読んでみると、彼はケリーにだまされたと結論づけるより他に解答はない。そして彼は精霊の言葉を実際の啓示と受け取った。賢く、インチキで、ずるいケリーは光で惑わす方法だけではなく、魔術師のふりを練習したに違いない。しかし腹話術のようなことができる能力が、彼のよからぬ詐欺を助けたのであろう。
-Lewis Spence, An Encyclopedia of Occultism
女王エリザベスI世の寵愛にもかかわらず、聖職者たちからは魔術活動に対して反対され、ディーとケリー、そしてその妻たちと使用人は英国から追放された。暴徒はディーの図書館の貴重な書物を破壊した。
ディーとその一行はポーランドとボヘミアを旅して回り(1583-89)、様々な貴族たちに魔術を披露した。
-Encyclopaedia Britannica
1595年にケリーは皇帝ルドルフII世から魔法使いの嫌疑をかけられ、投獄された。彼は脱獄に失敗し、数日後に死んだ。
ディーはたくさんの荷物を持って、20人の兵士に守られながらイギリスに帰国した。しかしディーはお金が必要であった。女王は彼をリッチモンドで迎え、年間200ポンドの年金を与えた。しかし既に彼の輝かしい時代は終わっていた。
-Daniel Cohen, Masters of the Occult
女王エリザベスは1595年、ディーをマンチェスターにあるキリスト教大学の校長に任命した。
ディーは彼の伝記作者John Aubryにこんなふうに描写されている。「白いミルクのようなあごひげを持ち、背は高く痩せている、袖の付いたガウンを着ている、疲れた年寄りである。」彼は占いをしたり、大切な本を一冊ずつ売りながら、わずかな収入を得ていた、全ては食べるために。
-Vision and Prophesies
彼は1608年12月、モートレークのサリーでその生涯を終えた。
何世紀にも渡って、ディーの作品はオカルト研究者たちを困らせていた。その中で最も悪名高いものはAdam
Weishauptであろう。彼は若いときから不思議な「illuminated manuscript」に魅了されてきた。ルドルフのコレクションは時の経過とともに散在してしまったが、彼の珍しい写本はイタリアのvenerable
Jorge's famous libraryに行った。それはJorge大寺院を破壊した火災を生き延びたが、(火災で?)彼の生命を奪った。他の残された断片とともにJorgeコレクションは何年もかかってキリスト教大学に売却された。
-Mitchell Porter, alt necromicon FAQ.
プラハでのディーとケリーを取り巻く状況に関しては、R.J.W.エヴァンズ『魔術の帝国:ルドルフII世とその世界』(平凡社)の269ページ以下に詳しく紹介されています。
ネット上では
ジョン・ディー協会のページではC.F.Smith
のちょっと古くなってしまった評伝と、Calderという人がワールブルク研究所で書いた長大な学位論文(ディーに関する基本的文献)が読めます。
The John Dee Publication Projectでは、天使と交信した記録の一部が読めます。