ヴォイニッチ手稿をさらに詳しく知るために

このページではジョン・ディーの研究者である坂口勝彦氏の協力を得て(ほとんど100%)、ここではマッケナの説の誤りを指摘することで、ヴォイニッチ手稿のたどってきた歴史や、その信憑性を判断する上での根拠などがさらに詳しく見えてくると思います。
 

  • ジョン・ディーとヴォイニッチ手稿
  • Gospel of St. Dunstable=Voynich Manuscript?
  • 訳注


  • ジョン・ディーとヴォイニッチ手稿の関係

    私[ケリー]は博士に会いにモートレイクへ行ったことがある。そのとき彼[ディー]は一枚の地図を検討していた。年老いた得体の知れない猟奇魔といった風貌で、狡猾そうな目は不気味な光を発し、その骨張った手で山羊のような顎髭を撫でていた。
    ──これはロジャー・ベーコンの写本でな、と彼が私に言った。皇帝ルドルフ二世がわしに貸してくれたものじゃ。プラハは知っていなさるか。騙されたと思って一度行ってみなされ、あんたの人生を変えるような何かが見つかるかもしれんでな。大全ノ在處ヲ記セシ図面ト、牛迫ヒノ麗編字図ノ秘宝……
    ディーは何かを秘密の文字に写し換えようとしていたが、私が覗きこんでいるのに気づいて、すぐにその写本をほかの黄ばんだ紙の束の下に隠した。あの当時は、どんな紙でも、たとえ真新しいものでも黄ばんでいた。
      -ウンベルト・エーコ, フーコーの振り子 (フィクションです。)

    ☆236 W. M. Voynich in W. R. Newbold, The Cipher of Roger Bacon (Philadelphia-London 1928),29-43. この手稿は後にマルクス・マルツィの手にわたり、筆者はベイコンであると述べているのはこのマルツィである。ベイコン筆者説を裏付ける証拠のない現状では、ルドルフはベイコンへの関心がつとに知られていたディーからこの手稿を手に入れたとも(本章原註☆130参照のこと)、あるいはディーその人がこの筆者であることも考えられないではない。この手稿を解読する試みはいまのところ実っていない。したがって好奇心をそそるユニークな図版とあわせて、このテクストの魅力の解明はこれからの問題といえよう。

    ☆130 (一部略)ディーの蔵書にはベイコンの著作もかなり入っている──Private Diary, Catalogue, Nos. 16,17,19,20,21,22,23,26,27,41,56,61,81,96,196.
      -R. J. W. エバンス 中野春夫訳:魔術の帝国 (平凡社)P.447, 454-456

    写本は13世紀にロジャー・ベーコンによって書かれたことになっているが書かれた記号は確かに16世紀のものである。私はそれが書かれたのは1540年代と見積もっている。それをケリーがどこかで手にいれたのであろう。もしケリー自身がそれを書いたものならば時代はもっと後−早くても1580年代のことになるだろう。もしディーが本当にそれを書いたのなら彼のほかの著作と比較できるはずである。ヴォイニッチ手稿を研究しているいくつかのグループがディーの暗号化された日記と全く関係のないことを示した。92ページを越える数字、記号がある。もしディーの使った暗号の方法と関係があるのならばヴォイニッチ手稿を暗号化した方法と関係があるはずであり、著者が誰なのか謎は解けるはずである。
      -Terence Mckenna, The Archaic Revival

    ジョン・ディーは、トリテミウスのステガノグラフィア(暗号法やスピリトゥス魔術に関する著作)を熱心に読んで感銘を受けていますし、カバラの記号法と錬金術とを結合させたような当時の書物を読み漁っていますので、ヴォイニッチ手稿に何らかの関わりがあるかもしれません。とりあえず僕の目にした範囲でディーの書き残したものを見た限りでは、ヒエログリフやカバラの記号術は研究しているのですが、ヴォイニッチ手稿の内容に関する直接的な言及は見あたらないようです。ほとんど知られていない、ディーの錬金術関連のノートなどもあるにはあるのですが、(それらは)ヴォイニッチ手稿とは関係なさそうです。
      - 坂口勝彦 (Voynich通信より)

    ディーとケリーがロジャー・ベーコンの作った錬金術の粉の話を皇帝ルドルフにしたとき彼らはヴォイニッチ手稿のことが頭にあった違いない。彼らがそれを書いたのか、一緒に(皇帝に)持っていったのかどちらかである。もし一緒に皇帝に見せたのなら、物語はもっと面白くなる。なぜなら彼らはその著者ではないだろうから。もし彼らが著者ならばそれは単に(ヴォイニッチ手稿が)文法的に深い構造をとっていて(現在でも)解読に抗する、エリザベス時代の二人の狂った魔術師によるものと少しは説明できる。もし、ディーとケリーがその著者でないとしたら、単に一時期所有していただけとしたら、ミステリーはまだ続く。どこで彼らは手にいれたのか、それは何なのかと。

    ディーはノーサンバーランド伯爵(1)の保護下にいた。彼[ノーサンバーランド]はヘンリー[世がローマと決別した際(2)にロジャー・ベーコンのたくさんの著書を英修道院から略奪した。ディーのモートレークにあった図書館には53冊のベーコンの書物があった。そのうち現代まで41冊が伝わっている。今は大英博物館とオックスフォードのボドレアン図書館(3)にある。全く簡潔に"A True And Faithful Relation"にディーは日々の精霊との交信、ディーとケリーがヨーロッパ中を旅したことが書いてある。皇帝が300ゴールドダカット支払ったまさにその月にディーは日記にこう書いてある。(4)「私とケリーは mysterious source によって300ゴールドダカットを受け取った」と。
      - Terence Mckenna, The Archaic Revival

    "A True And Faithful Relation"というのは、ディーが主にプラハに滞在していたときの日記などをカソボンという人がディーの死後に編纂して出版した分厚い本で、大部分は霊媒師のケリーと行った天使との交信の記録からなります。生前は学者として名声を得ていたディーの評判を一気に落とした本です。

    (下の文は)"True and Faithful Relation"の中で、ディーが630ダカットを得たと言われる根拠となっている日記の部分です。

    1586年、10月17日、正午、フランチェスコ・プッチとの最近のいざこざを、我々[ディーとケリーのこと]は、寛大にも、神の名において、神の僕として、エドワード・ケリーからというわけではなくエドワード・ケリーからということにして、彼が我々から取ろうとしていた金によって、けりをつけることにした(彼自身が仕組み我々に対して広めた多くの不和を避けるために、彼によって神に委ねられ返還され、また以前我々が彼に支払おうとしていたときには拒まれた、800フローリンという金によって、彼がそれを自分のものだと考えていたので、それを彼が受け取るようにと、630ダカットを神の御前で彼に手渡した。)
      - A True And Faithful Relation

    でも、これでは、ディーが630ダカットを支払ったということになってしまって、ヴォイニッチ・マニュスクリプトを彼がルドルフ2世に売ったという説の根拠が怪しくなってしまいます。それとも、630ダカットというのは、ヴォイニッチ手稿を売った金であって、手元にあったその金をプッチとのいざこざを解消するために支払ったということかもしれません。
      - 坂口勝彦


    Gospel of St. Dunstable=Voynich Manuscript?
    (ダンスタンの手稿はヴォイニッチ手稿と同一のものなのか?)

    ケリーはディーのいるモートレイクに突拍子もない話を抱えて訪れたときには、目は見開き、息も絶え絶えだった。(1)彼はウェールズの修道院の略奪された墓の中で寝ていた。目覚めると彼の下に瓶に入った赤い粉(transformative elixir)と、判読できない文字で書かれた本"Gospel of St. Dunstable"と呼ばれるものを見つけた。ケリーはその本を見つけた近くの村で、(それは)ウェールズ語で暗号化されたものだといわれたと主張した。私たちはこれ以上"Gospel of St. Dunstable"というものを日記から知ることはできない。 (3)しかしアーサーというジョン・ディーの息子は30年後父についてこう書き残している。「ディーとケリーは象形文字だけで書かれた書を解読しようとたくさんの時間を費やしていた。(2)たぶんこれは Gospel of St. Dunstable であり、おそらくこの Gospel of St. Dunstable は ヴォイニッチ手稿 と同じものであろう。
      - Terence Mckenna, The Archaic Revival

    (1) マッケナが依拠していると思われる「伝説」は、長らく信じられていたものでして、それによると、ケリーがあるときグラストンベリー(Glastonbury)の僧院跡で、「賢者の石」あるいは「哲学者の石」あるは「エリクシル」と呼ばれる赤いパウダーと、錬金術の奥義が書かれている手稿を見つけてディーのところに持ってきたというのです。この赤いパウダーとは要するに、物質を金に変成することができるという、錬金術師の最終的目的と言われるものです。二人は大陸に渡ったときもそれをずっと持っていて、幾度か錬金術の実験を行ったといわれています。

    この話は、アッシュモール(Ashmole)が編纂した Theatrum Chemicum Britanicum (英国化学の展覧場、1652年)という錬金術関連のアンソロジーの中にアッシュモール自身が書いているものです。彼は、錬金術文献の収集家で、ディーの手稿の大部分を手に入れていた人です。彼が集めたものは、今ではオックスフォード大学のボドレアン図書館が所有しています(他にもオックスフォードには彼の所有物を展示しているアッシュモール博物館があります)。で、この話に尾ひれが付いて、神秘思想研究で有名な A.E.Waite が、ダンスタン(Dunstan)の手稿がグラストンベリーでケリーによって見つけられた、と19世紀末に書いてしまったようなのです。グラストンベリーといえば、アーサー王伝説に関連がある場所として名高く、10世紀末のそこの僧院長であったダンスタンが錬金術の秘術を行っていたとかいういわれのある場所です。こういった、幾つかのお話が絡み合って、ディーとケリーに関わるまことしやかな伝説が生まれてしまったようです。

    (2) 実際のところは、何らかの手稿と巻物(宝の地図らしい)と錬金術のパウダーを、ケリーがディーのところに持ってきたのは確かなようです。ただし、グラストンベリーではなくて、コッツウォールドの Blockley の近くの Northwick Hill というところでケリーが見つけたらしく、そのことはディーが1583年3月23日に日記に書いています。もっとも、ケリーの言うことはあまりあてにならないことが多いので、彼がどこで手に入れたのか、本当のところはわからないようです。その巻物には、幾つか絵が描かれていて、なにやら不思議な文字が添えられています(ディーが日記に書き写している)。ディーはその解読も行っていますが、単にラテン語のアルファベットを変な文字に置き換えただけの単純なもののようです。

    それから、ダンスタンの手稿というのは、実在するものです。(マッケナは Gospel of St. Dunstable と言っていますが)。これは、Tractatus....de Lapide philosophorum (哲学者の石について)という名のテキストで、グラストンベリーの司教であったダンスタンが書いたとされていますが、実際には後の人がダンスタンの名を借りて書いてものでしょう。そのコピーをディーが持っていたことは確かですし、今でも、オックスフォード大学にあります。もちろん、この本は暗号ではなくラテン語で書かれていますから、ヴォイニッチ手稿ではないことは確かでしょう。ただし、ケリーが Blockley から持ってきたのがこの本かどうかは、今のところ確かなことは言えないようです。

    ディーがヴォイニッチ手稿を持っていたとしても、おそらくは大陸にいたときにどこかで手に入れたのではないでしょうか。

    (3) 息子のアーサー・ディー(1579-1651)について。
    アーサーは、ディーやケリーと一緒に大陸に渡っていて、彼ら二人が錬金術の実験をするところを幾度も見ていたようです。まだ、彼が10歳にもならない頃のことですから、どれだけのことがわかったのかは知りませんが、その影響からでしょうか、彼は後に錬金術師になりました。そのアーサーが謎の本について書いているという文章ですが、これはトマス・ブラウンがアッシュモールに宛てた手紙(1658年または1659年1月25日)の中で書いているものです。アーサーはブラウンとかなり親しくつきあっていたので、ブラウンの証言 は信憑性があると思います。その部分を挙げておきます(現在の英語の綴りと異なるところが幾つかあります):

    これを読む限り、アーサーにとって謎だった本は、錬金術の作業の際にジョン・ディーとケリーが参照していた本ではなかったのかという気がします。アーサーにとってわけが分からなかったとしても、ジョンにとっては理解できるものだったのかもしれません。ダンスタンが書いたという錬金術書の可能性もあります。実際、ダンスタンの本はディーが常に持ち歩いていたようですし。でも、これがヴォイニッチ手稿かどうかは、これだけの文からはなんとも言えないような気がしますが…。
      - 坂口勝彦


    訳注

    (1)Earl of Northumberland

    (2)英国国教会の始まり。

    (3)Duke Humphreyが1455年創立。Sir Thomas Bodleyが1597年再建。オックスフォード大学の図書館で、大英博物館に次ぐ規模を持つ。

    (4)そのような記述はありません。


    Back