ヴォイニッチ手稿(1)(The Voynich Manuscript)はまたの名を「世界中で最もミステリアスな写本(2)」とも呼ばれ、その名はアメリカの古書商でありコレクターであるウィルフレッド・ヴォイニッチ(3)にちなんで名付けられた。彼は1912年にローマの近くのフラスカッチのモンドラゴーネ寺院(4)の写本群の中からそれを発見した。
- Jacques Guy
Beinecke図書館にはヴォイニッチ手稿とともに、それに付属していた資料が箱にしまわれている。そのうちいくつかの紙片には、この手稿がかつてはイエズス会第二十二代総長Petrus
Beckx S. J.の個人図書館に所蔵されていたことが書かれている。
- R. Zandbergen, 最新の情報については"Voynich
MS history after 1600"を見よ。
この手稿は少なくとも116葉存在し、そのうち104葉が現存する。ページサイズは6×9インチであり、いくつかのページではこの2,
3倍の大きさのものが折り畳まれている。このサイズの6倍(18×18インチ)の複雑な巨大ページも一つある。手稿中の絵と文字の両方ともが奇妙である。文字が読めない現在、絵だけが書物の正体を暴く手がかりである。これらの絵からは、この手稿が科学書の体裁を備えているかのように思われる。描かれている絵のほとんどは植物であり、それにいくつかのセクションが加わる。
- G. Landini and R. Zandbergen, "A
Well-kept Secret of Mediaeval Science: the Voynich manuscript",Aesculapius
July 1998
Folio 78r (detail) |
そこは後にキリスト教の大学となり1953年に閉校した。ウィルフレッド・ヴォイニッチはその筆跡、絵、羊皮紙、(インクの)顔料の様子から十三世紀後期のものであると判断した。約二百ページのその本は世界に類を見ない奇妙な文字で書かれている。奇妙な彩色の絵がたくさん描かれている。何が描かれているのか分からないが、おそらく薬草の処方であろうか。複雑な配管は水力の機械というより、人体の解剖図に近いが、それに繋がったバスタブの中に小さな女性が裸でいるのが分かる。望遠鏡で見たときの天体のような図に、生きた細胞を顕微鏡で観察したときのようなものも見える。十二宮の星座に基づいたいささか風変わりなカレンダーもあるし、大きなポリバケツの中に女性がいる絵も描かれている。
- Jacques Guy
1586年にはこの見たこともない奇妙な文字で書かれた写本が存在していたことが知られている。一見アルファベット様の文字なのだが、様々な説があり、19〜28個の文字が使われているとはっきりしていない。英語や他のヨーロッパの言語体系と関係していないと考えられている。それは7×10インチ(5)と小さいが、170ページ(6)もあり厚い。文字はくっついて書かれている、流暢な速記であり、植物の絵は奇妙な線画に水彩が施されている。小さな裸の女性は奇妙な管から出るシャワーを浴びている。(その管については様々な説があり、体の器官とも、古代の噴水ともいわれている。)そして占星術の絵-正確には占星術の絵と考えている絵がある。このヴォイニッチ手稿は現在エール大学のバイニキー・レアブック図書館(7)にあり[カタログナンバーは
MS 408]、真面目な研究者であれば、誰でも見ることができます。
- Terence Mckenna, The Archaic Revival
たくさんの描かれている絵から、おそらく錬金術関係の書物だと思われているが、本当のところは分かっていない。おそらく誰かが何らかの秘密を保持したかったのであろう。手稿はその描かれている絵からいくつかのパートに分けることができる。(しかしそれは各セクションごとにテーマが違っていることを保証しない。)
Folio 11r (detail) |
庶民にはそれを隠し、科学的な教養を持つ人・真面目な学生にだけ困難をもって理解可能である方法以外で秘密を記す人間は愚か者である。
ある人々は彼らの中や、または外でも使われていない特殊な文字を作り上げ、それ使って隠匿する方法を考え出した。
- Sir Rober Bacon, Letter on the Secret Works of Art and the
Nullity of Magic
Folio 67r (detail) |
歴史的には1586年、ボヘミア王ルドルフ2世(8)朝に初めて登場する。彼は他のどんな時代の王よりも変わった人物であった。彼は小人を集めたり、巨人の軍隊を組織した。彼の周りにはいつも占星術師がおり、ゲーム、暗号、音楽に興味を示していた。彼は典型的なオカルティストであり、この時代のプロテスタント貴族であり、典型的な自由主義の北ヨーロッパ王であった。彼は錬金術師たちのパトロンであり、錬金術関係文献の出版を手助けした。同時期薔薇十字団の陰謀は静かに進められていた。
皇帝ルドルフの前に、誰だか特定はされていないが、ある人物が訪れてこの本を300ゴールドダカット(9)、現在の価値に直すとだいたい1万4千ドルで売却した。これは当時のたった一冊の本の値段としては驚くべき価値である。おそらく皇帝ルドルフはそれをかなり気に入ったのであろう。この本に付随して、作者がロジャー・ベーコン(Roger
Bacon)であることを裏付ける一通の手紙が付けられていた。彼は13世紀に活躍した、コペルニクスより前の天文学者である。
ヴォイニッチ手稿が歴史に現れる二年前、ジョン・ディー(John
Dee)という偉大な英国の航行者、占星術師、魔術師、諜報員、オカルティストがプラハでベーコンについての講義をした。
1582年の7月、モートレイク でジョン・ディーが研究していると、彼は窓からの眩しい光が差しているのを見て取り乱し、彼が天使ガブリエルと呼んだ創造主から新世界の黒曜石のレンズを受け取るため外に飛び出していった。後に彼はそれを
「The Shew Stone」と日記に書いた。彼はその石によって瞑想することで、ヴィジョンを見ることができ、精霊との対話が可能であった。
- Terence Mckenna, The Archaic Revival
(Shew Stoneは)確かに大英博物館に二つばかりあります。展示してあるかどうかはわかりませんが。Shew Stone というのは、昔からある鏡占いとか水晶占いでよく使われる道具です。ディーも幾つか持っていて、天使との交信に使っていました。ディー自身はそういった能力はなかったらしく、もっぱら霊媒師を雇っていたわけですが。写真で見る限り、手鏡のような物と、もう一つはいわゆる水晶玉です。手鏡のような物は黒曜石を磨いた鏡で、友人からもらったとディーは言っています。おそらくは、スペイン人がとってきたアステカの鏡でしょう。水晶玉の方は、Carmaraという名の天使からもらったとディーは日記に書いていますが(1582年11月21日)、たぶんケリーのごまかしでしょう。(マッケナの記述は、この二つを混同しているのでは?)
黒曜石の手鏡は、ディーがルーヴァンにいた時にカール5世の側近の誰かからもらった可能性がありますが、はっきりした記録は残っていません。スペイン人が新大陸からぶんどってきたもののひとつであることは確かなようです。以前に、水晶玉は「Carmaraという名の天使からもらった」と書きましたが、詳しく言うと、Carmaraという名の天使とチャネリングをしている時に、天使ウリエルが子供の姿で現れて水晶玉を置いていった、ということです。でも、それが大英博物館にあるものなのかどうかは、確言はできないようです。
- 坂口勝彦 (Voynich通信:私のShew Stoneに関する質問の返信より)
何年か後、トマス・ブラウン卿は、ディーの息子アーサが、父が所有していた不思議な書物について「その本には象形文字しか書かれていなくて、父親は長いこと読んでいたそうですが、彼が理解できたとは私は聞いたことがありません。」と語ったことを記述している。
この手稿はルドルフの植物園の責任者であったヤコブ・デ・テッペネス(Jacobus
de Tepenecz)の手に渡ったようだ。{彼の署名は現在でもfolio 1r(最初のページ)に残っている。(10)}これは1608年に彼(Jacobus
Horcicki)が貴族の称号 「de Tepenecz」を得た時よりも後のことであることがわかる。したがってこの本が現れた一番早い確実な年代は1608年である。
- Dennis Stallings, "Voynich
mini-FAQ"
十六世紀初期以前のヨーロッパにあった暗号は全て、シュポンハイムの修道院長であり、錬金術師でもあったトリテミウス(Johannes
Trethemius)が書いた暗号に関する書物『秘文字』(The Stenographica)からのものであった。彼は少数の方法しか知らず、それは軍事的目的ではなく、錬金術、宗教、政治的目的のため作られ、十七世紀までよく残った。しかしヴォイニッチ手稿はトリテミウスの暗号と全く関連が見られないように思われる。
- Terence Mckenna, The Archaic Revival
解読を目指した者たちが敗北を認め、公表されなかったものを含めれば、数多くの解読への試みが行われた。1944年には、William
F. Friedman(日本の最高機密「紫暗号」を破った有名な暗号学者)を筆頭に言語学、文書、数学、植物、天文学の専門家がワシントンに集まり、この問題に取り組んだ。
- David Kahn, The Codebreakers(11)
Folio 83v (detail) |
彼らが直面した難題は、暗号学的な見地からは、高度に技術的なものであった。ヴォイニッチアルファベットを写し換えるという標準的な方法に達するまでの作業は、想像以上に困難なものであった。多くのヴォイニッチの記号は区別がつくが、しかしそれに付随する僅かな変化や装飾が意味を持つのか持たないのかが分からない。判読する際にoと0といった似た2つの記号を同じものと誤ってしまったり、僅かに変化する同じ記号をいくつもの記号と考えてしまうといった危険は避けられなかった。それにも関わらず、研究グループは初期のIBM表作成・検索機械を使い、ヴォイニッチの文章をサンプルとしたいくつかの統計分析を実行することに成功した。
いくつかのおもしろい事実が浮かび上がった。第一に、分析によりヴォイニッチの文章はとても繰り返しが多いことが判明した。所々で、いくつかの単語は連続して2,
3回繰り返され、そしてたった一文字だけ異なる単語が異常な高頻度で繰り返される。全体的に見て、統計学的見地から、あるべき語彙は少なく、しかもラテン語や英語と比べて、普通の単語が短いものであり、注意してみれば1,
2文字単語がほとんど存在しないことが分かる。フリードマンはこの統計的な観点から、17世紀の哲学者John
Wilkinsが作り上げた原始エスペラント語様の人工普遍言語との興味深い類似点を指摘した。
- Lev Grossman, "When
Words Fail: The Struggle to Decipher the World's Most Difficult Book",
Lingua
franca, April 1999
残念ながら、勤務時間後の作業で、文章を記号に写し換え、表にする過程が完成した段階で戦争は終わり、グループは解散した。
- David Kahn, The Codebreakers
1976年にはキャプテン・プレスコット・カリアー(Captain Prescott Currier)がその筆記に関する論文を発表した。ヴォイニッチ手稿は少なくとも2人の異なる人間によって書かれており、その2つの文の違いは、文字の組み合わせの(統計的調査からの)頻度の違いにより明らかである。(詳しくはこちら。)
- Jacques Guy
草本セクションでの二つの「言語」の発見はこの資料を書き写し、インデクッスをつける主な理由であった。表向き同一の主題を扱っている草本AとBテキストを、比較の技術を用いて、「筆記のシステム」の性質の手がかりを得られるかもしれないと期待された。結果は完全に否定的であった。平行構造、およびこの点に関する他の有用な証拠はなかった。そしてこう結論付けるよりほかなかった。(a)我々はデータの「言語的」記録を扱っていなかった。そして(b)絵は付随しているテキストとほとんど関係がなかった。「A」と「B」テキストが見いだせるマニュスクリプトの他のセクションの研究もこの結論を変えることはできなかった。
さらに、これまでのところ、どんな「単語」の連なりも区分け、あるいは文法的に分類する事、そして基礎をなすテキストの、認識できる統語論上の配列を示唆するどんな使用パターンを見分けることも不可能であることが示された。さらに重要なことは、私が仮の数値を割り当てることのできたどちらの「言語」でも私には「単語」か個々の記号かを識別することは不可能であった。どんな筆記体系(もしくはその単純置換)であっても、上記の特徴のひとつあるいは両方ともに反しないであろうことは、全く私には信じがたく思われる。
- Captain Prescott H. Currier
キャプテン・カリアーはジョージ・ワシントン大学でロマンス語の学位を取り、ロンドン大学では比較言語学の学位を取った。彼が暗号に関わるようになったのは1935年からであり、1940年には海軍で重要な任務に就いていた。この分野では卓越した能力を発揮し、1948年から1950年までは海軍保安局の所長をしていた。1962年に引退後も顧問を務めた。彼のヴォイニッチ手稿に対する興味は長いものとなり、彼は正確な科学的分析をその問題解決のために注いだ。
- New Research on the Voynich Manuscript:Proceeding of a Seminar
最近でもいくつか解読を主張する者もいたが、どれも広く受け入れられてはいない。マリー・ディンペリオ(Mary
D'Imperio)の書The Voynich Manuscript:An Elegant Enigma(1978)は現在のところ最も詳細かつ学究的なものである。(現在はリプリント版が入手可能)それはプレスコット・カリアーの表記法を用いており、彼女の論文の中で述べられている通りである。
- Jim Gillogly
解読の不成功を受けて、多くの人々が手稿が「でたらめ」であると主張した。手稿は、珍品・希少品に興味を寄せていた皇帝ルドルフII世に多額で売却するために作られた16世紀の贋作(Brumbaugh,
1977,彼の初期の未出版のノートから。)、もしくはさらに新しい年代、W. Voynich、彼自身が作り出した(Barlow,
1986)ものなのかも知れない。しかし後者の説は手稿の年代決定の専門家や、1887年以前に手稿が存在していたという確かな証拠によって否定された。
ある単語の統計値(Zipf則)によると、手稿は自然言語の特徴を示していて、これは初期の贋作であるという理論に反している。言い換えれば、16世紀のどんな贋作も、Zipf則(1935年に初めて出された。)に従う文章を作り出すことはあり得ないということである。
- G. Landini and R. Zandbergen, "A
Well-kept Secret of Mediaeval Science: the Voynich manuscript",Aesculapius
July 1998
レビトフ博士の解読
Folio 82r (detail) |
レビトフ博士(Dr. Leo Levitov)はその著書Solution of the Voynich Manuscriptの中で、ヴォイニッチ手稿はイタリアに生まれ、ラングドックで栄え、1230年頃残酷なアルビジョア十字軍によって滅ぼされた異端カタリ派の初期の文書が唯一現代まで残ったものに違いないと主張した。レビトフの意見では、浴槽の中の小さな女性はカタリ派の洗礼、エンドゥラ(Endura,耐忍)であり、暖かい浴槽の中で、自殺を目的として血管を切って出血しているものであった。種の同定を拒む植物らしき絵についてもレビトフに言わせれば問題はなかった。「実際、カタリ派のシンボルや、イシスのシンボルを持っていない植物はただのひとつも存在しない」と。天文セクションに於いてもこんなふうに簡単に扱えた。「たくさんの星はイシスの周りを覆っているんだ。」
レビトフは解読までしてしまった。彼の主張はこうである、ヴォイニッチ手稿の解読が難しいのは、それが暗号化されたものではなく、特別なアルファベットを用いた、数カ国語対応の口頭発音を文章にしたものであり、ラテン語を理解できない人たちにも読めるように作られたからだ。すなわち、この高度な数カ国語対応の言語形式は中世フランス語に古期フランス語と古期高地ドイツ語のたくさんの単語を加えられ作られたものである。
- Terence Mckenna, The Archaic Revival
コンソラメントウム(救慰礼)の儀式を抜粋する。それは手を頭に置くことによって精霊による洗礼を受け、完徳者になることである。
- Dennis Stallings
カタリ理論に対する反論
Dennis Stallingが私に教えてくれたところでは、ほかにも信頼できるカタリ派についての記録があると言うことだ。Montaillou:The Promised Land of Error by Emmanuel Le Roy Ladurie (translated by Barbara Bray), 1978, George Braziller,Inc., New York(12)によるとアリエージュ県のパミエの司祭ジャック・フルニエ(Jacques Fournier)が農民の証言を詳細に記録に残しており、そこでエンドゥラは自殺を目的とした断食と記述されている。
ここではレビトフの主張するカタリ派とはイシスの崇拝の古い形であるということと全く異なる。またヴォイニッチの乙女の絵は決して彼の言う温かい浴槽の中で静脈を切って出血死しているものでもない。
- Dennis Stallings
A. E. Waiteはその著書Holy Grailの中でリヨンの古文書(Cathar
Ritual of Lyons)の内容の一部には「死にゆく信者について書かれている」と述べている。その文書はラングドックで書かれた。ヴォイニッチ手稿と内容的に似ているか?私はそうは思わない。
- Terence Mckenna, The Archaic Revival
私はレビトフの書を入手することができなかったため、ミカエル・バーロウ(Michael
Barlow)に頼み送ってもらったpp.21-31ページまでのコピーに頼るしかなかった。彼[バーロウ]はCryptologia誌上でレビトフの書に対しての批評をおこなった人だ。Cryptologia誌上に載った批評をもう一度読むと、レビトフの解読の中心となっている、ヴォイニッチ手稿はカタリ派の祈りの書だという理解、そして彼の述べるカタリ派の信仰・儀式は、少なくともフェルナン・ニールの書いたAlbigeois
et Cathares(Paris: Presses Universitaires de France, 1955)(13)に比べるとかなり奇妙なものだ。
- Jacques B.M. Guy, On Levitov's Decipherment of the Voynich
Manuscript
その言語はとても良く標準化されている。数カ国語対応の発音を、ラテン語を理解できない人たちにも分かるように、文字化した言語である。
- Dr. Leo Levitov, Solution of the Voynich Manuscript
初めて彼の本を読んだとき、私は価値のないものだとして無視しようとしてしまった。私のような言語学者にとって「数カ国語対応の口頭言語(polyglot oral tongue)」など全くばかげたことだ。しかし彼は(言語学者でなく)医者であるから、まあ大目に見ておこう。したがってその「数カ国語対応の口頭言語」とは「以前には文字化されてはいなくて、たくさんの異なった言語から単語を借りてきて作られた言語」と理解しておくのが良いであろう。それなら納得がいくわけだ。英語もその中のひとつである。その語彙の半分はノルマンフランス語、一般的な言葉のいくつかは非アングロサクソン語起源だ。例えば「Sky」はデンマーク語である。こんな感じだ。
...たったの12子音しかない。そんなのはヨーロッパ言語には見られない。非ヨーロッパ言語には同じくらい少ない子音音を持つ言語もある。スペイン語はとても音が少ない言語(5つしか母音を持たない。)であるが、17の子音音+二つの半子音を持つ。オランダ語は18〜20個の子音(話者、分析者によって異なる場合がある。)を持つ。私には全く信じられないのだが、レビトフの言語はgがなく、さらにbとpが両方ともない。このようにbとpが両方とも欠けている言語は存在しない。レビトフはさらにmが単語の最初や途中にあることはなく、単語の最後にしか現れないと言った。彼が翻訳したヴォイニッチ手稿の単語を見てみると確かにこれは正しいようだ。しかし実際にそのような言語は見たことがない。すべての言語にはmがある。(しかしたったのひとつだけ、名前は忘れてしまって今思い出せないが、アメリカインディアンの言語にmを持たないものがあり、有名である。)いくつかの言語にはレビトフの言語とは逆で、単語の最後に現れることのないものもある。非ヨーロッパ言語には一人称と三人称の代名詞の単数形と複数形の区別が存在しないものがある。(例えばIとweやhe/she/itとtheyの区別)
...ここにドイツ語の複合語のとても不思議な意味の取り方を紹介する。例えば(レビトフ語の)VIDEN
(= to be with death)は「with」と「die」と不定詞の接尾辞からできている。私はレビトフはドイツ語のmitkommen
(= to with-come)「to come alongを意味する」の様な構造から考えついたんだと思うんだ。私はBitte,
kommen Sie mit (= come with me/us, please)と同じ形でBitte, sterben
Sie mit と言えると思うのだが、そこでmitsterbenという動詞を作ったとすると、それは「to
be with death」ではなく「to die together with someone else」を意味するのだろう。次に短縮された単語の順番(しかし注意しておかなくていけないことは、一文字からなる単語もしばしばあるということだ。)はドイツ語のそれと反対になっている。例えばVIANは「one
way」(正確には「way one」)はオランダ語のeen wegやドイツ語のein
Wegと逆になっているし、もちろん英語は「one way」である。同様WIAは「one
who」だし、VAは「one will」、KERは「She understands」等々。実のところドイツ語では主語の倒置はしばしば起こるが、(Ploetzlish
dacht ich = Suddenly thought I)しかし、厳密で、はっきりと決められたルールに従っているのは、私が批評した彼の書のなかのp.31の2文だけである。
上のレビトフの翻訳は、「the one way for helping a person who needs
it, is to know one of the ones who do treat one」となる。
- Jacques B.M. Guy, On Levitov's Decipherment of the Voynich
Manuscript
200ページにものぼる未解読部分が完全なる解読を待ち続けている。長く困難で、あるいは見返りのない仕事であるとしても。
- Dr. Leo Levitov, Solution of the Voynich Manuscript
Folio 88r (detail) |
1991年には、手稿を研究する多くのアカデミック外の研究者が集まり、多国籍な開かれたメーリングリストを結成した。「そこはとても秩序が保たれている。」AT&T研究所に勤めるメーリングリストメンバーの一人、統計学博士のJim Reedsは言う。「皆、たとえ変人の意見さえ、礼儀正しく聞いている。」メンバーは共にヴォイニッチに関する大量の情報を更新し、それは多数のWebサイトと繋がり、そこでは手稿の画像、写し換えられた大量の文章、単語索引、ヴォイニッチ文字のフォントも手に入れられる。最近の議論は暗号の繰り返しに焦点が当てられ、メンバーの数人はそれが「冗長」暗号、つまり(平文)一文字が暗号文数文字に置換される、で説明できると論じた。
グループはまた、ヴォイニッチ手稿の機械化された正しい写しを作り出す作業を再開した。バーミンガム大学歯学部で教鞭を執るGabriel
Landiniと、ドイツ航空宇宙局のシステムアナリストRene Zandbergenは既存の写し換えテキストを整理し、一つの版にまとめる作業を現在行っている。彼らはそこから決定的な統計的結果を得るために、残りのヴォイニッチ文章も写し換え、最終的な機械化されたファイルを作るつもりだ。
- Lev Grossman, "When
Words Fail: The Struggle to Decipher the World's Most Difficult Book",
Lingua
franca, April 1999
・エントロピー
ヴォイニッチ手稿をコンピュータ解析した結果は、ますますそのミステリーを一層深めただけであった。第一の発見はヴォイニッチの中に2つの「言語」もしくは「方言」らしきものが存在し、それらはヴォイニッチA、ヴォイニッチBと呼ばれている。本文中の繰り返しは簡単な調査でも明らかである。エントロピー(14)とは文章の不規則性を数値尺度で表したものである。エントロピーが低ければ、本文は低い不規則性と、たくさんの繰り返し部分を持っていることになる。ヴォイニッチ手稿の本文を標本としたエントロピーはほとんどの言語に比べても低い。ただ少しのポリネシアの言語でヴォイニッチと同じくらいエントロピーが低いものがある。結果はヴォイニッチの本文だけが文章の繰り返し、つまり本文では同じ単語や句が繰り返されるのだが、それによって低いh2
[second order entropy](15)の値を持つのでない。結果が示したのは低いh2の値が、すなわち低エントロピー自然言語で書かれたものであるということにはつながらない。冗長暗号ではひとつの平文を数個の暗号文へと置換し、[すなわち、平文fは暗号文fufとなる。]その場合、h2はヴォイニッチ手稿のものと同じようになる。
- Dennis Stallings, "Voynich
mini-FAQ"
あなたが多数文字置換とダミーのスペースを、文章に適用することでヴォイニッチ手稿の統計とうまく一致する新しい文章を得ることができるだろう。しかしこれだけでは解読が証明されたとはいえない。ついに私たちは平文を簡単に暗号化できること、そしてなぜh2の減少がヴォイニッチ手稿中で起こっているのかを説明した。
- G. Landini, "The
'dain daiin' hypothesis.", 9 July 1998
例としてラテン語句(ウルガタ聖書)で試すと:
in principio creavit Deus caelum et terram
これを"n"については"dain"と"m"については"daiin"と置換してみると結果は:
i dain pri dain cipio creavit deiis caelii daiin et terra daiin
となる。
Voynich MSのスターセクション (Curva アルファベットを用いた)と(ウルガタ聖書の)創造チャプター1-25とDe Bello Gallico(ラテン語)を比較してみたところ以下のことが分かった:
・スペクトル分析
多くの自然現象・人間活動は1/fゆらぎを持つ。過去において文学作品に対して適用されたことはなかったが、スペクトル分析を用いることによって記号の相関関係を調査でき、例えばDNAシーケンスの特徴を知るために用いられてきた。(DNAのスペクトルピークはτ=3を示すが、これはDNAの単語長3を示す。また転写されるエクソンと、意味を持たないイントロンの間にも異なるスペクトルが見られるなど、記号のシーケンスの特徴を分析することができる。)
スペクトル分析によって様々な文章の記号相関を特徴づけることができ、
・カルダングリル
カルダングリルを使った方法で、簡単にVoynichの特徴を持つ文章を作り出すことができた。3ヶ月もあれば、全てを作り出すことができただろう。
- Gordon Rugg, "An elegant hoax? A possible solution to the Voynich
manuscript", Jan. 2004
彼の方法の根本的な欠陥は、格子表を使って作られた偽Voynichが、量的にではなく、視覚的にのみ似ているということです。特に単語頻度は異なる。
また、Voynichの作者が格子表を使ってつくる文章を自然言語(Zipfの法則に従う)のように調整したのなら、なぜヨーロッパ言語ではなく、東アジアの言語に類似するような特徴を持つようにしたのか?
結論から言えば、Gordon Ruggの格子表の方法は、単に「ヴォイニッチに似せた文章を効率的に作り出すことが可能である」ということを示しただけである。
- Jorge Stolfi (9 March 2004)
彼が主張するヴォイニッチ手稿によく似た意味のない文章を作り出すことに成功したという主張は真実ではない。
彼と学生のローラは、この巧妙な方法で多くのでたらめの文章を作り出した。これらのテキストは見た目にはヴォイニッチ手稿によく似ている。しかし、彼らは私にテキストを送ってきて、LSCテストを行うように依頼してきた。
ゴードンとローラの文章は、LSCでは全て典型的なでたらめの文章に特徴的なカーブとなり、一方でヴォイニッチ手稿のカーブは意味のある自然言語に特徴的なカーブとなった。
明らかにゴードンとローラが作ったでたらめの文章と、ヴォイニッチ手稿は構造が異なる。
- Mark Perakh (June 23, 2004)
・放射性炭素年代測定
2009年、アリゾナ大学が放射性炭素年代測定をヴォイニッチの羊皮紙に対して実施しました。手稿のそれぞれ異なる4カ所からサンプルを採取し試験を行い、C14のカーブはそれぞれのサンプル間で完全に一致。結果は95%の確率で1404-1438年(中間値は1421年)の間であった。
http://www.edithsherwood.com/radiocarbon_dating_statistics/index.php
さらにシカゴのマックローン研究所の研究員は、インクは後代に書き加えられたものでもないとし、おそらく北イタリアで書かれたものだろうとコメントしている。
- EarthTimes,
03 Dec 2009
(1)Voynich氏はポーランド人ですが、ポーランドでどのように呼ばれているのか分かりません。彼はロシアに渡った後、イギリスに逃れ、最後はアメリカに落ち着きました。彼の奥さんは比較的長生きして、生前の彼女のことを知っていた人は、彼女のことを間違いなく「ヴォイニッチ」と呼んでいたそうです。(雑誌ではご存じのように「ボイニッチ」、「ボイニック」、「ヴォイニッヒ」など紹介されていますが。)アメリカ人はアメリカ式に勝手に呼んでしまいますね。ヴォイニッチ・メーリングリストの会員の方、数人に尋ねてみたのですが、やはりヴォイニッチと呼んでいるそうですので、このページではそれで統一させていただきました。そしてManuscriptの訳ですが、一般的には「写本」とか「原稿」とか訳していますが、日本では「写本」というとどうしても「写経」のように何かを写したもののような意味を取りがちになります。(これはヴォイニッチ手稿がコピーかオリジナルかの議論にも結びつきますが。)僕はヴォイニッチはオリジナルである、という立場をとっていますので、従って手で書かれた原稿のような意味で「手稿」という、聞き慣れない言葉を採用させていただきましたが、最近の翻訳でも「写本」にこだわらず「手稿」を使ったものも見られるようになりました。
(2)The Most Mysterious Manuscript in the World
(3)Wilfrid Michael Voynich
(4)Villa Mondragone
(5)縦×横は22.9cm×15.2cm
(6)正確には116 folios(116枚のページ。基本的には1 folio の表と裏をつかって2ページ分になる。)+大きなシートが付いている。数枚抜かれている。
(7)Yale University Beinecke Rare Book Library
(8)神聖ローマ帝国の皇帝でもある。
(9)マッケンナのいう、300ダカットの根拠は不明。詳しくはこちら。
(10)これについては3つの情報を得ることができます。
1. John Manlyは次のように記述しています。(Brumbaugh p. 5):
(Wilfred M.) Voynichが最初のページを写真に撮ったところ、ページの下の方にかすかに何かが書かれているのを見つけた。努力にも関わらず、読めなかったので、Voynichは広く使われている化学処理を行うことにし、その後で消えていた文字Jacobi de Tepeneczを見ることができた。この時点では何を意味しているのか分からなかったが、後にこれはJacobus Horcickyであることが分かった。2. Brumbaughは次のように記述しています。(Brumbaugh p. 115):
私の息子Robert Conrad Brumbaughは紫外線を使った作業でf1rに年代1*30を見つけ教えてくれた。1630年はTepeneczの死(1622年)とMarchiがVoynich Manuscriptを相続した(1644年以前)間に当たる。3. D'Imperioはその著書の中で、次のように記述しています。(D'Imperio p. 1):
赤外光下で調査したところ、「Jacobj a Tepenece」という署名が見つかった。1. 非常にわかりにくい記述でして、これ以上の情報は見つかりません。広く使われている化学処理とは何でしょうか?現在のf1rの状態は非常に悪く、それはこの化学処理のせいかもしれません。ただある人は羊皮紙に対しての化学処理ではなく、写真に対しての化学処理(単なる増感?)の可能性を示唆しました。でも僕は違うと思います。
(11)日本では早川書房より『暗号戦争』という題で翻訳されるもすでに絶版。一部分の訳だけです。
(12)MONTAILLOU, village occitan de 1294
1324 by Emmanuel Le Roy Ladurie
日本語訳も出版されています。『モンタイユー』(上)(下)ピレネーの村 1294〜1324 刀水書房 です。
(13)日本語版は『異端カタリ派』フェルナン・ニール 渡邊昌美 訳 白水社です。
(14)エントロピーとは本来物理の熱力学で用いる乱雑さを表す度合いのこと。文字を数値化しエントロピーを計算することでどのような暗号かを判断できる。
(15)詳しくは"Understanding the 'Second-Order Entropies of Voynich Text"を見て下さい。ここでは日本の源氏物語のエントロピーも計算しています。大変難しくて、素人の僕にはよく分かりませんでした。要するにエントロピーにはいくつかの種類があって、それを計算したら今まで言われていたほどヴォイニッチはエントロピーは低くはないが、しかしこの方法はまだ完全ではないと書いてあります。
(16)ピンイン(Pinyin)とは中国語をローマ字でつづったもののことです。ちゃんと漢字があるのですがShift-JISはお馬鹿さんだから出せません。ユニコードが普及するまで待っててね。